。やや暫く思案した後、
「ええ、ままよ……そこいらまで引張ってやれ」
米友は車上から下りて、今まで車上の客となっていた身が、急に車力の地位にかわりました。
四十四
米友は、この無人の境をたった一人で、エンヤ、エンヤと、大八車を引っぱって動きはじめました。
いくら行っても、同様、太刀打ちの音も、矢玉の叫びも、火の手もなにも見えるのではありません。
いずこに動乱の象《しょう》ありや、異国人の襲来ありや、とんとそれは煙も見えないのです。
いよいよ解せないことに思いつつ、この無人の境を、米友はなおもエンヤ、エンヤと、車を引いて行きました。
本来、大八車は代八車で、八人の男によって曳《ひ》かるべきものか、そうでなければ、八人の男の代りに使用せられつつある器具ですから、後世の瀟洒《しょうしゃ》たる荷車よりも、ズッと大柄に出来ていました。それを通常よりは甚だ小柄なる米友が引っぱって行く光景は、かなり可愛らしいものであります。
だが、車力はついに馳《は》せ戻って来ないのです。この分では、それを期待することは覚束ない。
「ままよ、こうして名古屋まで伸《の》しちまえ」
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