獣皮屋《けがわや》の店頭に飾ってあった大熊に見惚《みと》れて、そうして道庵を取逃してしまったことがある。
この動物を見ているうちに、米友が次第次第に吸い込まれて、憐愍《れんびん》から愛着、愛着から同化、ついに自他の区別を忘却するまでに至るのは、一つは、この獣と関聯して、どうしても無二の愛友であったムク犬のことを、思い出さずにはいられないからです。
「ムクはいい犬だったなあ、いい犬だよ、あんないい犬は、天下に二つとはありゃあしねえ、今はどこにどうしていやがるか」
といって、思わず頭をあげて嘯《うそぶ》いたけれども、眼はやっぱり子熊から離れないのです。
「こいつは、ムクの子かも知れねえ」
米友になじみつつ、煎餅をかじる子熊の姿を見ると、米友がたまらなくなりました。光るものが一筋、米友の眼尻から糸を引いて来るようです。
売られて行くんだな、香具師《やし》のところへ……そう思うと、昔の自分たちのことが、身にツマされてきました。お君、ムクもろともに、自分たちは、やはり興行師の手にかかって苦労した覚えがある。あれは売られたんじゃない、救われたようなものだが、やっぱり苦い味はなめさせられた。こ
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