あなた様がこの上によっくおよっておいでになりますから、お起し申すもなんで、つい、そのままに致して置きましたらこの通り、檻を破って這《は》い出し、母親の敷皮を慕ってまいりまして、あなた様に飛んだ御迷惑をかけましたような次第で……こちらへお夜具をのべさせて置きましたから、どうぞ、あれへ――その敷皮はひとつ、この子熊めに、お遣《つか》わし下さいませ」
「なあーんだ」
 米友がここでもまた、呆気《あっけ》に取られてしまいました。自分になついて来たと思ったのは、飛んだお門違いの己惚《うぬぼれ》――問題は熊の皮だ。
 だが、死せる親の皮を慕うて忘れざる子熊の情愛に至って、おのずから考えさせられずにはおられないものがあるようです。

         三十四

 子熊をつれて行かれて、しばし茫然としていた米友が、急に声を立てて叫びました、
「先生! 先生! おいらの先生」
 彼は襖《ふすま》の中を見込んでこう言うと共に、ガバと立ち上ったのは、この時に至って、はじめて意識が全く明瞭になったのです。
 そこで、つむじの如く、ここまでの行程が展開してみると、ああ、それそれ、それから、あれ――わが尊敬する道
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