をもなつき従わせるほどの聖人であるとも考えてはおりません。
 米友のこの当惑を別にして、宿の大勢の者はようやくにして、この熊の子を取抑えて抱き上げると共に、米友に向い、
「お騒がせして全く恐れ入りました、つきまして、なおこのうえ恐れ入りますが、どうかそのお敷物をひとつ……」
「この敷物……この皮をかえ?」
「ええ、左様でございます」
「この敷物を持って行くのかえ?」
 米友にとっては、今まで自分の体温の幾分を分ち与えたこの敷物、自分のものではないから、よこせといえばやらないとは言えないが、せっかくあたためて寝てるものを、持って行かなくってもよかりそうなものだとの、いささかの不平もないではありません。
 その気色《けしき》を見て取ったのか、番頭のようなものが、こう言って申しわけをしました、
「実はその、お敷物の熊の皮は、この子供の親でございまして、それがふとした怪我で亡くなりましたものですから、その皮を剥がして置きますと、争われないことに、この小熊めが、母の皮をよく知っておりまして、これが無いと眠れませんものでございますから、宵のうちも、これを檻《おり》の中へ入れてやろうと存じましたが、
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