のに、この動物は更に動じないから、米友が、ちょっと面喰った形です。同時に、
「あ、こいつぁ熊だ!」
と米友が叫びました。
 なるほど、そう言われて見ると、熊に違いありません。但し、熊は熊だが、羆《ひぐま》や月の輪ではなく、まんまるく肥った熊の子であります。子熊ではあるけれども、熊は熊に違いないのです。家畜でなくて野獣のうちです。野獣のうちの猛獣に属するものです。しかも、猛獣のうちでも、獅子と虎とを有せざる日本の国に於ては、最強最大の猛獣といってよい種類に属しているものでありました。
「熊の野郎!」
 米友は眼を円くしたけれども、むくむくと肥え太ったこの猛獣の子供を見ると、恐怖よりは可愛らしさの念に打たれないわけにはゆきません。月の輪や、羆の類が襲い来《きた》ったとしたならば、心得たりと、体をかわし、咄嗟《とっさ》には杖槍を七三に構えて、「さあ、かかってみやがれ」と、胆を据えるべき米友も、こんな可愛らしい部類に属する子熊に、じゃれつかれてみると、一応は、びっくりしたが、これを憎み扱う気にはなれません。
 ましてや、この肥え太った動物は、米友の寝ている腋《わき》の下へくぐり込んで、鼻を鳴ら
前へ 次へ
全163ページ中104ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング