ざりますか」
「病床での失礼をお許し下さるならば、御案内をいたしましょう。まあ、お茶一つ召上れ」
といって奥方は、女中の運んで来たお茶を取って与之助にすすめました。
「頂戴をいたしまする」
有難くお茶を飲んで控えていると、
「よくここがお分りになりましたね」
「はい、名古屋へ参ってお尋ねをいたしましたところ、当節はこちらだということで、直ぐさまお伺い致した次第でございます」
「名古屋へは何ぞ御用でおいでになりましたか」
「はい……実は申し上げ兼ねるのでござるが、申し上げないとかえってお疑いをあそばすかも知れません、私事はこのたび岡崎を立退いてまいりました」
「まあ、お家を立退いておいでになりましたとは、それはどういうわけでございますか」
「その仔細はお話し申し上げると長うございますが、一口に申さば、人を討ち果したためでございまする」
「まあ、あなたは伊津丸の口からもききましたが、お家が剣術のお家である上に、柳生殿の道場でも指折りの望みをかけられていたそうでございますが、その技《わざ》のために、間違いをお起しになりましたか」
「はい、好んで術を弄《もてあそ》ぶつもりはございませぬが、いつものっぴきならぬ義理にせめられて、ついつい鞘《さや》を割らねばならぬようになって行きます」
「なんにしても、よくよくの御事情とお察し申します、そういうわけでしたならば、こちらは閑静でよろしうございますから、ゆっくり御逗留《ごとうりゅう》なさいませ」
「はい、お言葉に甘えましてしばらくかくまっていただきたいと、それ故こうして不意に参上いたしました」
「よくおいでになりました、いずれくわしいことはのちほどお伺いいたしましょう。では伊津丸の病床へ御案内をいたしましょう」
と言って銀杏加藤の奥方は、立ってこの美少年を案内して、病床に親しむ自分の弟の座敷まで連れて行きました。
八畳の一間、そこに静かな敷物がある、部屋の飾りも落着いて、卑しげがない。
正面に「南無妙法蓮華経」の髯題目《ひげだいもく》の旗がある。
「伊津丸《いつまる》」
「はい」
「梶川様が岡崎からお越しになりました」
「おお梶川殿」
と、寝返りを打とうとするのを押止めた梶川は、
「そうしていらっしゃい、あなたがそんなに御病気で休んでおられるということを、つい存じませぬ故、お見舞も致さず、失礼しました」
「いえいえ、失礼はこちらのこと、こんな意気地のない姿を人に見られるがいやさに、どちらへもお知らせをしませんでした」
「それは御遠慮深すぎる、ほかならぬ拙者にだけはお便りを下さってもよかろうものと、只今も奥方の前で、それをお怨《うら》み申していました」
「有難うございます、同じ怨みはこちらからも申さねばなりますまい。それはどちらに致せ、今日はよくお越し下されました」
「いや、よくまいったと申し上げたいが、実は只今も奥方に申し上げました通り、余儀ないわけで人を討ち果し、それがために岡崎を立退いてまいりました」
「おお、それはそれは、大事ではござれども武士の意気地、やむにやまれぬこともござりましょう。どうしてまた、人を討たねばならぬようになりましたか」
「自分ではいらぬ腕立てを致すつもりは更にござらねど、事情がおのずからそうなっては、ぜひもござらぬ」
「貴殿は天性、術に長《た》けておいででした、その術が貴殿の幸か不幸かを齎《もたら》すことになるとはいえ、こうして病床に親しむ吾々には、そのお元気が羨《うらや》ましい」
「いやいや、客気にはやって身をあやまらぬよう、父からも堅くいましめられ、自分ながら心を締めておりますけれども、どうも勢い止むを得ませぬ」
「左様な儀ならば遠慮なくこの屋敷に逗留なさい、私も良い友達があって、心丈夫」
「まことに御迷惑の儀とはお察しいたしますが、暫くおかくまいが願えれば、それに越した喜びはござりませぬ、只今、奥方にもそのお許しを受けました」
「ここは離れて静かなところですから、隠れているにはくっきょうと思います」
「それはそれとしまして、貴殿の御病気を一日も早く治したいものでございます、そして昔のようにおたがいに竹刀《しない》を取って稽古をしてみたいものでござる」
「いや、それはもう望みが絶えました、立って歩けるようになれば、それだけで本望だと思っておりますが、多分それも叶いますまい」
「なんという心細いことをおっしゃる、まだまだ、おたがいに元気いっぱい、こうして拙者が傍にお附き申している限りは、拙者の念力だけでも丈夫にしてお目にかけます」
「そのお言葉が何より心強く感じます。実はこうして永らく病床になやんでいるより、どこぞ湯治へでも行けとすすめられておりますが、湯治に行こうという気にもなりませぬ」
「ははあ、湯治は悪くありません、次第によってはその湯治先まで、拙者が附いてまいってあげてもようございます、そうすれば拙者のためにもよいと思います」
「いやいや、貴殿のお隠れなさるには、かえってこの屋敷がようございます、この屋敷にありさえすれば、決して人の手に捕われるという心配はありませぬ」
「いやいや、拙者のは国を立退いて来たとは申せ、実は、武士の面目の上に止み難き事態であることは、藩の者も皆判っている故、さのみ恐れて隠れ潜む必要はござりませぬ、表面上謹慎を表して立退けばそれで済むのでございます」
「いずれにしても御用心に如《し》くはなし、ゆっくりご逗留なされよ」
「奥方様」
と、梶川は奥方の方に向いて、
「拙者は隠れ潜んでいるのがよいとは申せ、伊津丸殿はこうして永らく一室におられては、お気も屈しましょう、湯治のことはよい思いつきと存じますが、もし湯治においでなさるのに、お手不足でもあるならば、及ばずながら拙者がおともを致しましょう」
「それは有難うございます。実は信濃の国の白骨の湯というのが、たいそうよく効くという話でございますから、それへ、この子を連れて行ってみようとも思いましたが、何を申すにも、時も時、所も所、私たちだけではどうすることもできませぬ」
「ははあ、白骨とはどちらか存じませぬが、そういう次第ならば、拙者が喜んでおともを致しましょう、どうです伊津丸殿」
病人の方へ向き直り、
「湯治に行く気はござりませぬか」
と言われて伊津丸は天井の一方を、涼しい目でじっと見詰めながら、
「湯治に行くよりは、私は肥後の熊本へ行きたいのです」
「はて、肥後の熊本」
と梶川が小首をかしげるのを、奥方がひきとって、
「肥後の熊本は先祖の地だということで、この子はそのことばかり申しております。同じ湯治をするならば、肥後の阿蘇山の麓《ふもと》、また同じ死ぬるならば熊本の本妙寺の土になって、御先祖の清正公の魂にすがりたい、なんぞと口癖のように申していますから、いつもそれをわたしが叱っております」
「ははあ、伊津丸殿は拙者と共に道場通いを致した時も、よく左様なことを申されました」
「はい、この子はどうしたものか肥後の熊本を、先祖の地、先祖の地、と言いますけれど、本当に先祖の地は、この尾張の国だということが、どうしても分らないで困ります。すなわち御先祖清正公は、ここからほんの地続きの尾張の中村で生れ、そうしてあの尾張名古屋の御本丸も、清正公一手で築き成したもの、清正公の魂魄は、肥後の熊本よりは、この尾張の名古屋に残っているということを、よくよく申し聞かせても、どうしてもこの子にはその気になれないようでございます」
「それもそうかも知れませぬ、世間の人も加藤清正公と申せば、肥後の熊本だと思います、清正公の魂は、かえってあちらに止まっておられるかも知れません、それが伊津丸殿の心を惹《ひ》かされる所以《ゆえん》かも知れませぬ」
と梶川が言った時に、病人はちょっと向き直って、
「わたしはやはり肥後の熊本が、なんとも言えず慕わしい、梶川殿、どちらかなれば、わたしは白骨よりは熊本へ行きたい、なんと熊本まで私をお送り下さるまいか」
「お送り申すは容易《やす》いことなれど……」
その時奥方は、キッと襟《えり》を正し、
「伊津丸、お前はそれほど熊本へ行きたいならばおいでなさい、私はいつまでもこの尾張の国に残っております、御先祖の心をこめた、あの金の鯱《しゃちほこ》のある尾張名古屋の城の見えないところへは行きたくありません、死ぬならば尾張の国の土になりたい、熊本はわたしの故郷ではありません」
六十七
信濃の国は安曇《あずみ》の郡《こおり》の山また山――雪に蔽《おお》われた番所ヶ原を、たったひとりで踏み越えて白骨谷に行くと広言した弁信法師、ふと或る地点で足を踏みとどめてしまいました。
「おいおい、寒い時は山から小僧が飛んで来るものだぜ、今時分、逆に山入りをする小僧があるものか」
どこからともない、嘲笑罵声を聞き流して耳を傾けた弁信法師――
「おや、私一人ばかりかと思いましたこの道に、うしろからお呼びになったのは、どなたでございます。え? 何とおっしゃる、白骨谷へ行くのは止めに致せとおっしゃいますか。ははあ、それもそうでございますな、私も今となってまた心が変りました、最初のほどは白骨へ、白骨へと引かされる心持になりましたが、今となりますと、どうも白骨谷が空《くう》になったように思われます、私が逢いたいという人、私が尋ねたいという人は、もう白骨谷にはいないように思われてなりません。はてそれではどこへ行ったとおっしゃるのですか。左様、それは私にもわかりません、ただ白骨へ行こうという気が抜けました、白骨にはもう私の尋ねる人はおりません、そこで私も雪の中を艱難辛苦《かんなんしんく》してあれまでまいる必要がないような心持になりました」
弁信は天の一方を見つめて、じっと考え込んでいましたが、
「さあ、そうなりますと、わたくしはこれからどこへ行ったものでございましょう、十方に道はありとは申せ、わたくしの行くべきところはどこでございましょう、白骨でいけないとすれば、再び甲州の有野村へ帰りましょうか。わたくしが有野村へ帰りましたとて、もうわたくしの為すべき仕事はござりませぬ、伊太夫殿のためにも、お銀様のためにも、わたくしが帰ったことによって、いささかも加えることはできないようになっております。それではいっそ月見寺へ帰りましょうか、あれは白骨谷が空なるよりもなおさらに空なものになっております。さあ、左の方木曾路へ迷い入って、あれをはるばると行けるだけ行ってみましょうか、やがては花の九重の都に至り上ることはわかっておりますが、天子の都も、今は兵馬倥偬《へいばこうそう》の塵に汚れていると聞きました、その戦塵の中へ、かよわいかたわ者のわたくしが参ってみたとて何になりましょう。それならばはるばると摂津の難波、須磨、明石、備前、備中を越えて長門の下の関――赤間ヶ関、悲しい名でございます。寿永の昔にあの赤間ヶ関の浪の末に万乗の君がおかくれになりました、その赤間ヶ関の名は、ほとんど日本の国の終りのような響がいたします。でございますが、そこまで至り尽したところで、どうなりましょう。海を渡ればまた、四国、九州の新しい天地が開けます、有明の浜、不知火《しらぬい》の海、その名は歌のようにわたくしの魂の糸をかき鳴らしますけれども、現在そのところに至れば、わたくしの魂はずたずたに裂かれて、泣き崩折《くずお》るるよりほかはなかろうと思われます。それから先、海を越えて支那、朝鮮のことは申すもおろかでございます。さてそれならばいっそ安房《あわ》の国へ渡って、再び清澄のお山に登る、そこで心静かに、心耳《しんに》を澄ましてはどうかとおっしゃる、そのお言葉には、道理も、情愛もございます。まして、わたしが、唯一の幼な馴染《なじみ》であるところの、あの清澄の茂太郎も、今はまたその安房の国に帰っていることはたしかでございますから、お前のためには安房の国へ帰るのがいちばんよろしかろう、とおっしゃって下さる……それはまことに有難い仰せではございますが、私が、そもそもあの清澄のお寺を立ち出でました時の心をお察し下さいます方は、それが
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