たり、まずく漬けてしまった分には、済まねえことだから」
「うむ、そのこと、それも心配しなさんな、その梅干の製造法も、わしが、ちゃあんと心得ているから、秘伝をお前に伝授してやる、お前は、それに従って、近所の若者でもかり集めて、働いてもらったりすりゃあいいのだ」
東妙和尚から、この相談を持ちかけられた与八は、一応納得して、その委細をお松に伝えるべく、机の家の本家まで帰って来ました。
五十九
お松はその日、子供を帰したあとの講堂(もとの机の道場)を整理していると、ふと外の庭でする子供らの話に耳を傾けさせられました。
のぞいて見ると、十歳を頭と思われるくらいの男の子が五六人、いずれも背中に乳呑児を結びつけて、子守を仰せつかりながら、桜の木の下で石蹴りなんぞをして、遊んでいるところであります。
寺子屋としての日課が終ってからでも、この校庭が遊び場所になるのは毎日のことのようなものですが、今日は、お松が特別に注意を向けさせられたのは、子供たちの無意識な会話《はなし》ぶりでありました。
「お前んちへは、また赤ん坊が出来たのかえ」
「ああ」
「貧乏のくせに、そんなに子供ばかり出来ちゃあ、食わせるに困るだろう」
「困りゃしないよ、赤ん坊はまだ何も食やしないもの、乳ばかり飲んでいるよ」
「馬鹿、今は乳ばかりだって、いまにでかくなればおまんまを食うぞ」
「そりゃ、そうさ」
「その時になると、食わせなけりゃならねえ、お前のうちじゃ食わせられるかい」
お松はそれを聞いて、ずいぶんマセきった言い分だと思いました。だが、そのマセきった言い分も、当人は無邪気で、家庭の口吻《くちぶり》がさせるわざだと考えないわけにはゆきません。家庭の口吻は、つまり生活の切迫であります――お松は箒の手を休めて、それを聞いていると、
「おらの家じゃ、貧乏のくせに子供ばかり出来やがって、食わせることができねえから、こんど出来たら間曳《まび》いちまうと言ってたよ」
「間曳くというのは何だろう」
「間曳くというのは、赤ん坊が生れると一緒に、つぶしてしまうことだとさ」
「つぶす?」
「うむ」
「つぶすというのは、どうするんだろうねえ」
「殺しちまうんだよ、生れると一緒に、息のできねえようにしちまってさ」
「ずいぶん、悪いなあ、生きて生れたのを殺しちゃうなんて」
「だって、仕方がねえさ、生かして置いたって、食わして行けなけりゃあ、人間は死ぬだろう、生れたものに食べさせねえで殺すより、痛いも痒《かゆ》いも知らねえうちに、片づけてしまった方が、慈悲なんだとさ」
「かわいそうだなあ」
「かわいそうだって仕方がねえや。おいらなんぞも、家が貧乏なんだから、お母《っか》あが、間曳いてしまうつもりでいたのだが、おいらが生れるとニコニコと笑ったから、つい間曳く気になれなかったんだとさ」
「変だなあ、そんなに子供が邪魔になるなら、産まなけりゃいいにな」
「産まなけりゃいいったって、生れるのは仕方がねえや」
「産まねえようにできないのかなあ」
「うんこと同じだよ、出したい時には我慢ができないだろう」
「だって、子供を産むのは、お母あばかりだろう、うんこは誰だってするよ、どうかして、お母あに子を産ませないようにできないものか知ら」
「馬鹿、お母あに子を産ませないようになんぞできるものか」
「だって」
「くにい[#「くにい」に傍点]の家を見な、もう七人あるけれど、また始まったって言ってるぜ」
「どうして、お母あが、そんなに子を産みたがるんだろうな」
「自分じゃ、産みたがらなくったって、ひとりでに出て来るんだから仕方がないじゃないか――女ちうものは、子を産むように出来てるんだぜ」
「そうだ、子を産むのは女ばかりで、その女も、お母あにならなけりゃ産まねえのだ、お母あになると仕掛が違うのかなあ」
「馬鹿――子を産むのはお母あばかりじゃねえぞ、家の姉《ねえ》やなんぞも、奉公に行ってから家へ帰って子を産んだぞ、だけんども、姉やの子じゃいけねえからって、おいらの弟にしてあるんだ、だから、姉やだって産むよ、お母あとばっかりきまったもんじゃあねえや」
「でも、うちの姉やは産まねえよ」
「ちぇッ、お母あだって、産まねえお母あもあるよ、あの新屋《しんや》をごらん……」
「みんな知らねえのかい、御亭主を持たなければ子は産まねえんだぜ、いくらお母あだって、御亭主が無けりゃあ子が産れないよ」
「御亭主てのは何だい、父《ちゃん》のことかエ」
「そうさ――父親と母親というものがあって、はじめて子が生れるんだよ」
「だッて……」
「だッて、姉やは御亭主が無くって子が出来たというじゃねえか」
「そりゃあ――そりゃあ」
「先生のお松さんだって、ごらん、御亭主が無くって子供があるよ、そら、郁太郎様と、登様と、二人も子供があるじゃないか」
「そうさなあ」
「だから、父《ちゃん》が無くたって、子供は出来るんだぜ」
この話をお松は立聞きをして、ある時は吹き出したくなり、ある時は恥かしくなり、ある時はまた身ぶるいをするほど怖ろしくなりました。
これら、無心の子供に言わせる社会相。
子供が出来ても食わせられないが、子供は産れるものだ。
この子供らは、子供の生れる性の知識には暗かったからいいようなもの、これでも出産の結果の負担の重いことを、家庭から深刻に吹き込まれている。
産れたものは、食わせなければならぬ。その家々で食わせられなければ、他の方法で食わせて生かさなければならないものだと思いました。食わせられないがために、生かしては置けないということ、そういう場合には間曳《まび》いてしまうが、むしろ慈悲だという考えは、どうしてもお松に同意の余地を与えないものでありました。
産れた子は、きっと育てられるように、家々の生活を保証させてやらなければならぬ。家々でやれなければ村々で……村々でやれなければ、お上《かみ》の手で……どうしても、そうしてやらなければならないものだと、お松は考えさせられました。
人間を多く産まないようにすることができないならば、家庭を富ましてやらなければならぬ、家々の生活を楽にしてやらなければならぬ、それには、どうしても土地を富ますように、その土地から、よき職業と、よき産物を見出して、生活を楽にしてやりさえすれば、この悲惨は救われるはず――お松は、日頃考えていないことではなかったが、今の無邪気な、怖ろしい会話を、子供の口から聞かせられた時に、一日の急のように、強くそのことを感ぜしめられました。
そこへ、ノソリと入って来たのは、海蔵寺から帰った与八です。
六十
その翌日、東妙和尚と、与八と、ムク犬とが相携えて、吉野村へ梅を買いに行きました。
村へ入ると、千樹の梅林――それを東妙和尚がいちいち見立てて、持主と値ぶみをする。協定が済むと、サラリサラリと代価を払う。
梅はもとより移植するためではない。代価を過分――といっても、材木や、薪として売り飛ばすよりは過分な代価を払っての上に、倉敷料としての見つもり若干を与えて、そのままにし、季節に実を取るだけの約定なのだから、売ってかえって保護をされているようなもの――取引も至極円満に進行して行きました。
梅の木買収の協定が済むと、その一本毎に、東妙和尚は、与八の手から一枚の木札を受取ります。その木札は三寸に五寸ほど、新しく削らせて、上端に小さな穴が明けてある。沢井を立つ時、与八はそれを笊《ざる》に入れて荷《にな》って来たのを、一枚ずつ東妙和尚が受取って、おのおのの木ぶりをながめながら、矢立を取り出してその木札にサラサラと認《したた》める。
「それ与八、その巌の間にはさまれている大木にはこれを附けろ」
認めたのは「重巌梅」――とある。
「さあ、次なる、その横へつんとのしたのは――それ、鳥道梅」
「こっちの方の枝の盛んなやつは白雲梅」
「そら、こっちの方に低く這《は》っているのが幽石梅だ」
「向うの谷間にあるのが聯渓梅」
「低く地についているやつが泣露梅」
「そら、これが吟風梅だ」
「その畔道《あぜみち》に小さくなっているのが迷径梅」
「それ践草梅」
「それ胆雲梅」
「そっちのは歌聖梅」
「あの一本立ちは無人梅」
「池の傍のは沃魚梅」
「ははあ、鳥がとまっているな、そこで鷦鷯梅《しょうりょうばい》だ」
「その枝のよく伸《の》したやつが安身梅」
「それは姿がいいから白鶴梅《はくつるばい》」
「亦楽梅《えきらくばい》」
「長条梅」
「馬屋梅」
「孤影梅」
「玉堂梅」
「飛雲梅」
「金籠梅」
「珠簾梅」
「娟女梅《けんじょばい》」
「東明梅」
「西暗梅」
一木を得るに従って一名を選み、それをサラサラと木札に書いて、与八に与えて、それぞれの木に結びつけさせる。鈍重な与八が、応接に追われるほどの進行ぶり。見ていた村の持主たちまでが舌を捲いてしまったというのは、物の名をつけるのは、八兵衛、太郎兵衛でさえむずかしい、一木一草にでさえ、しかるべき雅名を与えるのは容易なことではない、おのおのの持ち分の老梅にも何とか名をつけたがったり、つけてもらおうとしたり、相当の学者に頼んでおいたりしても容易に出来ないのに、この和尚様は、一木を得るごとに一名を選むこと、数字の番号を打つことの速さと同じことだ、博学な坊さんもあったものだと驚く。それに頓着なしの東妙和尚、
「梅は、ずっと昔、支那から渡って来たものだということになっているが、それもしか[#「しか」に傍点]とはわからぬ、九州の梅谷《うめがや》というところ、甲州の富士の麓なんぞには、たしかに野生の梅があるのだからな。どうも、わしの頭では、やっぱり日本に、最初から存在したもののように思われてならぬ、樹ぶりから枝ぶり、趣味好尚に至るまで、全く日本にふさわしいものだ」
と講釈をして、また次の如き順序の選名――
「青煙梅」
「蜂蝶梅」
「紫芝梅《ししばい》」
「微風梅」
「斑白梅」
「黄老梅」
「柳楊梅」
「四運梅」
「石蜜梅《しゃくみつばい》」
「餐露梅《さんろばい》」
「幽澗梅《ゆうかんばい》」
「銀床梅」
「深障梅」
それは、あらかじめ選んで置いて、それを転写するでさえ、そうは迅速に参るべからざるものを、いちいち、その景を見、境を見、木ぶり枝ぶりを見、来歴を参考として、即座に選んで、サラサラと書き飛ばすものだから、これは、たしかに容易なことでないと、村人を驚かすに充分でありました。それよりも、あまりに選名が早いので、それに縄をつけて、木に結ぶことの奔命《ほんめい》に窮するほどの与八。
この前後から、村々の子供をはじめ、閑人《ひまじん》がすべて出て来て、梅買い評定をのぞきに来る。
それだけではない、最初のほどは一匹二匹と出て来て、遠くムク犬の雄姿をのぞみ、あえて虎威をおかすことをしなかった附近の犬がようやく数を増して、何十頭というほど群がり出し、それが遠くから畏《おそ》る畏る、ムク犬の雄姿をながめていたのが、ようやく、なついてくると見えて、だんだんちかよって来ると、ついに皆、ムク犬の前後左右に尾を振って、これに朝するの有様でありました。そこでムク犬が動くと群犬が従う。
何と思ったか、この時、ムク犬は、主を離れてやや早足に、丘陵をかけのぼると、群犬がまた挙《こぞ》ってこれに従う。
かくて、ムクが上れば群犬も上り、ムクが止れば群犬もとどまり、ムクが走れば群犬も走る――それに興を催してか、ムクと、群犬とは、この人間たちとは遥かに離れて、やがて行方を見せなくなってしまいました。
六十一
その同じ日の同じ時刻に、ちょうど、東妙和尚や与八が梅を買っているところの裏山で、一人の百姓がしきりに薪をこしらえておりました。
ところは、ひっそりとした雑木林。木を伐《き》る音がこだまして、いよいよ森閑を加える趣の山林の中に、たった一人で精出して、手頃の木を伐っては、その太いところをマキにこしらえ、枝のところをソダにしている。
これは木樵《きこり》ではありません。あたりまえのお百姓が農閑
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