《はがゆ》いくらいに思いましたが、今度はその従者に対する言語挙動が、まるで奴隷に対するような扱いであり、軽蔑と、叱咤《しった》とを以て、待遇するのに、このグロテスクな従者に、一言のないことにも驚かされました。
これは一つは、前ので抑えていた癇癪が、次の相手に向って、加速度に浴びせられたと見れば見られないこともないが、この従者としての小男が、そのお嬢様という人からは、かなり鄭重に扱われているにかかわらず、そのお嬢様に恐れ入っているこの伝法な女に対しては、頭が上らない様子でいることが、不思議でなりません。
そうして、おのずから、そこに蛇と、なめくじ[#「なめくじ」に傍点]と、蛙のような気分を見て取らないわけにはゆきませんでした。
そんなような一種変テコな気分の下に、米友は足を洗いおわって、座敷に通らせられました。
五十六
白骨を立とうと思い定めたお雪は、その翌日の朝から机に向って、例の弁信へ宛てて書く手紙の文章に、
[#ここから1字下げ]
「弁信さん――
近いうちに、わたしたちは白骨を立ちます。
ここも悪いところではありませんけれど、とかくこのごろは人の出入りが多くて、なんとなしに不安を感じますから、あんまり冬の厳しくならない以前に、ひとまずここを立ちのいた方がよかろうと思います。これは誰にもすすめられたのじゃありません、わたしが思い立って、わたしが、ひとりできめてしまったのです。
これでも、わたし、思い立てば、きっと、それを実行に現わしてお目にかける自信は持っておりますのよ。
では、ここを立って、どこへ行くとおっしゃりますか。
松本の方へ出るのが順でございますけれど、それでは帰り道になってしまいます。わたしは、家へ帰るためにこの白骨を出ようとするのではございません。
とりあえず、ここからは、程遠からぬ、そして山と山の間道を行けば、道もそんなに険しくはないところを通って、飛騨《ひだ》の国の平湯というのへ、ひとまず落着いてみようと思います。
けれども、平湯は――同じ山里ではあるけれど、ここと違って、平地になって人家も多いし、人の出入りも一層はげしいと思いますから、そこにも落着いてはおられないだろうと思います――
それでは、どちらへ行きますか。山をなお奥へ入って行きますと、白川の郷というところがあるそうです。
そこは何人にも秘められた理想の里で、古《いにし》えの武陵桃源といった、おだやかな夢が、まだ浮世の人によって、破られてはいないそうです。わたしたちは、そこへ行って、ほんとうの落着いた気分になって、浮世の人と、事とを、暫くの間でも全く忘れてしまいたいと思うのです。
わたしたちといううちにも、久助さんなんぞに言えば、きっと反対するにきまっています。そのくらいなら故郷へ帰りましょう、その方が……なんぞと言うにきまっていますから、わたしは、先生だけを誘いました。
あの方と二人だけで、その白川郷へ行くことにきめてしまいました。
え、それでは駈落《かけおち》だとおっしゃるのですか。そうかも知れませんね、でも……
あの方が、いけないとおっしゃるものですか。第一、あの方は、わたしがいなければ生きて行けないじゃありませんか。
誰があの不自由な方を、世話をして上げるものですか。
わたしというもの無しには、あの人はここを出ることはできません。なにもかも、わたし次第です。
ええ、弁信さん、何とお言いです。雪ちゃん、お前もまた、あの人が無しには生きて行かれないのじゃない……ここを出る時から、もうそうなっているのじゃない?
弁信さん――
あなたまでが、そんなことを言ってはいけません。
それはもう、今となっては何とお取り下さってもかまいません。駈落といわれても、心中といわれても、今はもうわたしは驚かなくなりました。白川へ行ってしまえば別天地ですから、多分、天地がわたしたちにだけ出来ているようになってくると思います。
そこで、武陵桃源の夢のように、一生を過ごせてしまうなら、一生でもかまわないと思います。
世間|体《てい》や義理なんぞ……
自身のからだの変化や、人様のおもわくや、出る人や、来る人に、いちいち気をおくような無用な心配は、一切なくなってしまうじゃありませんか。
きっと、そういうところで、わたしたちは、いつまでも若い血色で、そうして、自分ながら数えきれないほどの長生きをするのじゃないかと思います……
長生きすれば恥多しというのは、世間体があるからなのです。恥というものは、よく考えてみると、取るに足りないほどのことを、ただ世間体のおもわくだけで、小さくなっていることじゃありますまいか。
自分は自分だけの信ずるところで、生きて行けさえすれば、何をして悪い、何をして恥だということがありましょうか。
よく考えてみますと、わたしたちは、自分たちが弱いから、信念が無いから、それで世間というもののために圧迫されて、この白骨の谷まで押しつめられてしまったのじゃありますまいか。
いつか、申し上げた、イヤなおばさんから、わたしはイヤなことを言われて、もう世間へ面向《かおむ》けができないほどに、イヤな思いをさせられました。一時はどうしてやろうかと思いました。こんな山深いところにいてさえ、自分の身の置きどころの無いことを考えて、出る人、来る人に気兼ねをして、温泉に来ていながら、この肌を誰にも見られまいと苦心するなんぞ、なんという愚かなことでございましょう。
それが、白川村の話を聞いているうち、そうして、いよいよ、その白川郷まで入ってしまおうと決心した時、そんな気兼ねや、羞恥《しゅうち》が、一切合財サラリと取払われてしまいましたようです。
国へ帰って、もと通りの生活をし、やがて世間並みの女としての、きまった生活を予想すればこそ、いろいろの煩悶《はんもん》もありました。
白川入りをすれば、その点は、全く解放されてしまいます……
弁信さん――
勝手なことや、夢のようないいことばかり言っておられません。イヤなことも書かなければならないのです。
白川郷のもっと奥か、その途中か知れませんけれど、そこには畜生谷というところがあるそうです。
そこにも、幾人かの人間が住んでいるのだそうです。
そうして、そこにも、やはり平家の落武者の伝説が残っているのでございます。そうだとすれば、由緒正しい高貴の人の胤《ちすじ》も残っていないというはずはありますまい。それだのに、ナゼ人が畜生谷なんて、いやな名をつけるのでしょう……
それとなく、たずねてみますと、その谷では、親子、兄弟、姉妹の別が無いのだそうです。全く忌《いま》わしいことではありますけれど、最初のその谷へ落ちて隠れた人たちが、二人であったか、三人であったか、極めて少数の人でありましたでしょう。それが時を経て谷にひろがるまでには、どうしても近親の間で結婚ということが行われて、それが習いとなって、その部落の間だけでは、あやしまれないことになっていなければならないかも知れません。
自然――畜生谷――なんだか、たまらないいやな感じも致します。
人の噂《うわさ》ですから、よくわかりませんけれど、そこでは他人と親族との区別が、ほとんど無いそうです。肉親の兄弟、姉妹が、自分にその夫と妻とを選ぶことができるのだそうです。妻や娘を貸し借りすることはなんでもないことだそうです。ですから、土地の子供も、自分の父というものがわからないから、父の年頃の者をすべて父と呼ぶならわしになっており、親から見ると、子というものがわからないから、子の年頃の者はすべて子と呼んでいるのだそうです。それで、お母さんだけは自分の子がわかるわけですから、親子の本当の愛は、母というものだけにあるのではないでしょうか。そこで、母の権力が、父の権力より大きくなってくるのも自然でございましょう。
弁信さん――
諸国の人の集まる温泉などに来ていると、どうも、わたしたちの頭では想像に苦しむほどの異った風俗を、聞きもし、見もすることが多くございます。
……こんなことを書くのは、書いているうちにも、筆がけがれるように感じますから、それはよしましょう。
わたしたちは、白川の武陵桃源に向って分け上って行くのです。決して、畜生谷へ向って駈落をするのではございません。
え、え、それでも、もし、白川へ行くつもりで、その畜生谷へ落ち込んだらどうなさる。
道案内を知らない、あなた方が、見えない眼で、向う見ずの心に導かれて、どうしても、まっすぐに白川へ行けないで、あやまって畜生谷へ落ちこまないことを誰が保証しますか?
それは、やっぱり弁信さんの取越し苦労ですよ。行こうと思えば、同じ人間の住んでいるところですもの、行けないということがありますものか。
もしや、畜生谷に迷い込んだところで……それはたとえですよ、それはたとえですけれども、迷って畜生谷へ落ちても、そこの人たちは決して、人食い人種ではありますまい。かえって人情には極めて親切な人たちばかりだと聞きましたから、わたしたちを導いて、また元の道へ送り帰らせて下さるに違いありません。
畜生谷と言いましても、地獄ではございません。鬼が棲んでいるのでもございません。話だけに聞けば、わたしたちが身ぶるいするほどのいやな風儀の谷であっても、そこの人情には変りがないばかりか、世間の人情よりも一層濃いものがあって、どうかして間違って、そこへ一晩でも泊った人は、帰ることを忘れるほどの、もてなしを受けるのだそうです。
その昔から、悪いと知らないで現われて来た乱婚の風儀を別にしては、畜生谷は、白川と同じことに、土地も、人情も、美しいところだと聞いていますから、御安心ください。
思い立ったのが吉日ということもありますから、わたしは、これから大急ぎで身のまわりのとりまとめにかかります。
この次の手紙は、平湯で書いて上げるか、白川で書くことになるか、そうでなければ畜生谷――決して、そんなことはありませんけれども、もしや、道を踏み迷った時は――
弁信さん――
あなたに向って、助けを呼びますから、そのつもりで始終、勘を働かせていて下さいましな」
[#ここで字下げ終わり]
五十七
名古屋へ来て以来、道庵先生の持て方が非常に過ぎていましたから、そうでなくてさえ、いい気持の道庵を、全く有頂天《うちょうてん》にさせてしまいました。
破格中の突飛なるもの――名古屋城天守閣の登臨を特許されたことは別問題として、あちらでも、こちらでも、在名古屋一流の名士、風流者、貧乏人といったようなものが、道庵を招請するの会の絶え間がない。
今夕しも、尚歯会《しょうしかい》が発起で、道庵先生を主賓として、長栄寺に詩歌連俳の会を催すことを企て、その旨、先生に伺いを立てると、一も二もなく臨席を承諾してしまったものです。天守閣登臨の特許の筆法によれば、今夜の尚歯会の席には、也有、集木軒、息集軒、明星庵、無孔笛、幸山、君山、千秋庵、白雲房あたりの名星が、轡《くつわ》を並べて出席しないとも限りません。
そうして、名古屋に於けるあらゆる名物という名物を、この機会に於て、残らず道庵先生に見せてしまわねば納まらないとの期待かも知れません。
道庵がかくまで名古屋人士の人気を取ったという一つの理由は、無論木曾川で、ここの藩中の重役の命を取返したという余徳がさせることであるが、他の半面には、この医卜《いぼく》に隠れたる英雄(?)は、まず自分が何故に、わざわざこの金鯱城下に駕《が》を枉《ま》げたかという理由を説明して、それは郷国の先輩、弥次郎兵衛、喜多八が東海道膝栗毛という金看板をかかげながら、東海道の要《かなめ》を押えるところの尾張の名古屋を閑却しているということに、ヒドイ義憤を感じていること、宮簀姫《みやすひめ》を出し、頼朝を出し、信長を出し、秀吉を出し、金の鯱《しゃちほこ》を出し、宮重大根を出し、手前味噌を出しているところの尾張の名古屋の城下を踏まずして、東海道膝栗毛もすさまじいやという義憤が、わざわざ道庵先生をして、金鯱城下に駕を枉げしめ、先輩、弥次郎兵衛、喜多八の足らざ
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