て、暫く泊っているにはいるけれど、京大阪から田宮の方まで行くかも知れません」
「そうですか、じゃ、また途中で出逢《でくわ》すかも知れねえね」
「ええ、途中ばかりじゃない、明日は名古屋で、また逢えるかも知れません」
「旅は道づれ――と言ってな」
 米友がこう言ってバツを合わせました。旅は道づれの意味が、米友にはよく徹底していなかった――が、この場合、やむを得ず、有合せを使用したものらしい。
「ええ、旅は道づれ次第のものですね」
 それを婦人が、気安く、また意義ある取り方をしてくれたので、米友も助かり、
「姉《ねえ》さんも、一人じゃあるめえね、連れがお有んなさるんでしょう」
と、米友も如才なく合わせました。最初にはおかみさんと言い、今は姉さんと言う、この点米友も多少考えたらしいけれども、この姉さんは以前と変らず、
「ええ、幾人も連れはありますけれど、気の合わない時は、連れがあるより、一人の方がようござんすね」
「それもそうだろうが……男と違って女というやつは、めったに一人じゃあ旅ができなかろうから、かわいそうだ」
「そうでもありませんね、気が合わないくらいなら、やっぱり一人がようござんすよ」
「うむ――そうだなあ、一人だと、思うようにどこへでも行けるが、連れがあると、おたがいに世話が焼けたり、焼かれたり……」
 その通り、道庵のお守役には、米友もかなり世話を焼かされているらしい。そこで身につまされたものと見える。
 ところが、この風変りな一人歩きの女の人も、突然逢ったザッカケの男と、会話のやりとりをしているうちに、なんとなく自分も、身につまされてくるらしいものがある。
 気が合うというものか知らん、偶然の会話が、二人を結んで行くようです。
 こうして、摺《す》れつもつれつ、寺の門を出てしまったが、まだ米友も離れるとは言わず、女の人も、なるべく引きつけておきたいような気分で、話の糸を絶やさないようにつとめているとも見られます。
「姉さん、お前は、どこからおいでなさったのだエ」
 米友がこう言いますと、女は、
「わたしは江戸から来ました」
「江戸ですか。おいらも江戸から来たには来たが、東海道を来なかった」
「甲州街道?」
「ううん、木曾街道だ」
「そうですか」
「姉さん、江戸はどこだエ」
 こう聞かれて、女の人が、ちょっと返答にたじろいだようでしたが、
「江戸は本所です」
「本所……」
 ここで米友が、ちょっと眼を円くしました。
 本所というところには、米友としてはかなり多くの思い出を持っている。
 向う両国も本所だし、鐘撞堂新道《かねつきどうしんみち》も本所だし、老女の家も本所であるし、弥勒寺長屋《みろくじながや》も本所のうちであったはず。
「本所」と聞いて、米友が思わず苦い面《かお》をしました。
 しかし、この男は、これより以上に詮索《せんさく》がましい聞き方をする男ではありません。
 女の人の方は、また、本所と言ったそのことが、急場の間に合わせ言葉かも知れない。そこで、おたがいの戸籍しらべは、それより進行しませんでした。
 こうして、本街道筋に出た二人は、ついにここで袂《たもと》を別たねばなりません。
「兄さん、お前さん、もし急ぎでなければ、千鳥塚を見て行かない?」
と、女の人の方から誘いをかけられて、
「そうさなあ」
 米友としては、歯切れの悪い生返事でしたが、少しも拒絶の意味には響いていない。
「急ぎでなければ、一緒においでなさいな」
「今晩は泊るかも知れねえと、先生の前へことわって来たには来たけれど」
「そんなら一緒に行って下さい、そうして都合によれば、わたしの宿へ今晩はお泊りなさいな」
「どうしようかなあ」
「一緒においでなさい、ね、千鳥塚はずいぶん淋しいところだと思うから、わたし一人で行くよりは、連れがあった方がいい」
「じゃあ、行ってみるとしようかな」
「そうなさいよ」
「うむ」
 米友は、脆《もろ》くもこの女の誘惑にひっかかってしまいました。
 常の米友ならば、一たまりもなく拒絶して、自分は名古屋に残して置いた主人のための責任感に向って一直線に動くはずであったのに、今日は存外歯ざわりが柔らかい。
 かくて二人は相前後して、路を裏に取り、教えられた通り、天王山の千鳥塚をさして行くべく、田疇《でんちゅう》の間の並木の中に身を隠してしまいました。

         五十四

 かくて二人が千鳥塚に着いた時分には、夕暮の色が、いよいよ濃くなっておりました。
 ここへ登って見ると、はじめて海が見える。この女の人が、絶えずあこがれているらしい海が、遥かに布を張ったようにほの白く見えました。
「ごらんなさい、ここへ来てはじめて、昔の鳴海潟の趣がわかりました。昔の歌によまれた時分は、海がもっと近かったのでしょう、だんだん、時代がたつにつれて、海が陸になり、陸が田になったのに違いありません。昔の人はあの波打際を歩いたのです、そうして海を見ながら、人の世の旅路のあわれを、つくづくと思いやったものに違いありません。いかに鳴海の潮干潟……ほんとに、この海が、どのくらい、古代の旅人を悩ませたかわからない」
と女の人が言いました。
「そうだろうなあ」
と米友が極めて無器用に合わせました。これが弁信ならば、右の女人の感懐に答えるのに、更に幾倍の感傷と、饒舌《じょうぜつ》とを以てしたでしょうが、米友には、その持合せがないから、勢い、その分をまで、女の人が受持たねばならなくなる道理です。
「古代の人は、海道に近く旅路を急ぎながら、海の波に足を洗わせながら、この涯《かぎ》りなく広い海をながめて通ったものでしょう。そこでたまらなく旅路の哀れというものを感じたのでしょう。赤壁《せきへき》の賦《ふ》というのにありますね、渺《びょう》たる蒼海の一粟《いちぞく》、わが生の須臾《しゅゆ》なるを悲しみ……という気持が、どんな人だって海を見た時に起さずにはいられないでしょう。まして、こんな物哀しい夕暮なんぞに、啼《な》きわたる千鳥の音でも聞きながら、海を見ると泣けるのも無理はないと思います」
「うむ……そうだろうなあ」
「それは、わたしが山国にばっかり育っていたせいではありますまい、誰でもその通り、海を見ると悲しくなるのです。哀れなりなにと鳴海の果てなれば……という歌もあの笠寺の額に書いてありました。いかに鳴海の潮干潟、傾く月に道見えて……と太平記にもありますね。ほんとうに高貴な地位にいた人が、囚《とら》われの身になって、今日か明日かの命の瀬戸に、この海辺の旅路を通る心持――それが思いやられずにはおられません」
「うむ……」
「兄さん、お前さん、旅をして歩いて、悲しいと思ったことはない?」
「あるよ、それはあるよ」
「悲しいと思った次に、ツマらないと考えたことはない?」
「そんなことも、あるにはあるようだ」
「ツマらないと思った次に、死んでしまいたいと思ったことはない?」
「さあ――おいらにゃあ、死んでるのか、生きてるのか、わからねえことがあるよ」
「そうですね、わたしたちだって、ほんとうに生きているのがいいのか、死んだ方がいいのかわからないことが、不断にありますよ」
「人は死んでも、魂というものが生きてるからなあ」
 ここで米友は、道庵ゆずりの霊魂不滅説を持ち出したのはまじめです。
 女の人は、それには答えずに、さきへ立って無言に、塚の細道を下りにかかりました。
 米友もまた、憮然《ぶぜん》としてそれに従う。

         五十五

 こうして米友は、不思議な女の人に誘われて、とうとう、鳴海本宿の、その宿屋まで伴われて来ました。
 どのみち、明日は名古屋へ着くべき間柄だから、誘わるるままに米友も、今日は一泊という気になったのでしょう。
 大和屋というのへ着いた時は、もう夕暮を過ぎて、夜の領分に入っていました。
 この女の人が、宿へ着いたと見た時、宿の人の騒ぎは大きい。
「二十番のお客様がお帰りになった」
「お嬢様がお見えになりました」
といって、上を下へと騒ぐのを尻目にかけて、鷹揚《おうよう》に座敷へ上り、
「連れの方が出来ましたから、お洗足《すすぎ》を上げてください。お洗足がすんだら、わたしの部屋へ御案内をしてください」
 その途端に、出逢がしらに、飛んで出たのは女軽業の親方お角でした。
「まあ、お嬢様、あんまりじゃありませんか、どのくらい心配したかわかりませんよ」
「それはお気の毒でしたね」
 お気の毒を、よそ事のように言って、女の人が歩み出すと、お角は、むしろ呆気《あっけ》に取られたようで、
「それでもまあ、お帰り下すって安心を致しました」
 お角さんの気象では、なぐりつけてやりたいほどのところでしょう。それを虫を殺して、なだめにかかる言葉の様子は、全く泣く子と地頭には勝たれないといったような表情でした。本来、そうまで下手に出るはずはなかろうに、先天的に、お角さんほどの女が、この人にだけは一目も二目も引け目を感ずるらしい。女の人はお角に命令するように言いました、
「あの、道でお連れのを一人見つけて来ましたから、今晩はわたしの座敷に泊めて上げるようにして下さい」
「あ、そうでございましたか、承知いたしました。さあ、お嬢様のお連れの方を、こちらへ御案内申しな」
といって、お角が女中に指図をし、自分もまた、この我儘《わがまま》な御主人(?)の引きつれた客人に粗相があってはならないという気持で、米友が草鞋《わらじ》を解いている上り口のところまで進んで来て、
「お疲れでございましたろう、さあ、どうぞ……」
ともてなしました。
 草鞋を解き終った米友――女中が汲んでくれた盥《たらい》へ両足を突っこんで、そこではじめて笠を取りました。草鞋を解くよりも、笠を取る方を先にすべきなのに、この男は少しその手順を取違えたと見える。
 笠を取って、なにげなく振向いた珍客の姿を、吊行燈《つりあんどん》の光で一目見たお角が、
「あっ!」
といって仰天してから、急にけたたましい声で、
「お前、友公じゃないか」
「え!」
 米友もギョッとして、振返って見ると、立って自分を見下ろしている女――
「あ! 親方!」
 米友が舌を捲きました。
「ばかにしてるよ、お前は友じゃないか、米友じゃないか、友しゅう[#「友しゅう」に傍点]だよ」
 お角は、続けざまに、けたたましく叫びました。それは、腫物《はれもの》にさわるようにしていた、さいぜんの御主人様の引きつれた大切のお客様の一人とばかり思っていたのに、それが百も承知の意外な代物《しろもの》でしたから、驚愕と軽蔑が一度に噴出し、今までジリジリさせられていた癇癪《かんしゃく》が、この物体に触れて一時に爆発したもののようです。
「やあ!」
 米友は、洗足《すすぎ》を忘れて、あっけに取られっぱなしです。
「まあ、どうしたんだい、お前」
 お角は、いよいよ、すさまじい軽蔑の語気でいう。
「どうも御無沙汰をしちゃいましたね、親方」
 米友が神妙に詫《わ》びる。
「なんだって、こんなところに、お前、うろついてるんだい、旅に出るなら出るように、あらかじめ、わたしんところへ渡りをつければいいじゃないか、お嬢様に取入って、わたしに出し投げを食わせるなんて、たち[#「たち」に傍点]が悪いよ」
「そういうわけじゃねえんだ、途中でなあ、つい、話合いになっちまったんだよ」
「まあ、いいから早く足をお洗い、友なら友のように、はじめっからそう言ってくれれば、こんなにあわてやしないよ」
 見ていた宿の者が、お嬢様という人に対するのと、この従者に対するのとで、お角さんという人の言葉の当りさわりが、こうも違うものかと驚きました。
 お嬢様がいなくなったというので、今まで、騒がせられたのは容易なものでない。それほど騒がせておいて、帰ってみれば一言の申しわけもなく、打通る大風にも驚かせられましたが、あれほど焦《じ》れて、ポンポン啖呵《たんか》をきっていた親方の女が、当人が現われてみると小言一つ言わず、腫物《はれもの》にでもさわるように御機嫌を取るのを見て、かえって歯痒
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