久助さんだけにあやまれば済みます。けれども、わたしが心を決めてやる以上は、決して、やりそこなうようなことはしませんよ。もし、やりそこなうようなおそれがあれば、やらないうちにやめてしまいます。とにかく、わたしに任せてみて下さいな、ねえ、先生」
「それほどまでにして、ここを出たいの?」
「ええ、それは、あなたのためばかりではございません、わたしのためにも……来る人、来る人が、どうも、あなたを探しに来る人に見えたり、また、わたしをさぐりに来る人にばっかり見えて、たまりませんもの……白骨は、もう落着きません、どうしても、白川まで行きたいと思いつのりました。白川ならば、平家の落武者ではありませんけれど、永久に、わたしたちの身を隠すことができましょう――わたしたちばかりでなく、子供たちや孫の代まで、落着いてこの生を託することができるというわけではありませんか。ああ、白川へ行ってしまいたい、ねえ、先生、御同意ください、いいでしょう、この白骨を脱け出すことに御同意をして下すって、その方法を一切、わたしにお任せ下さいな――そうして白骨から白川で落着いて、そこがほんとうに住みよいところでしたら、一生をそこで暮しましょう。そうして落着いているうちに、先生の御養生も届いて、立派にお目があくようになれば、また、どうにでも方法はございます。もし、また、その白川とやらも、思わしくないようでしたら、それこそほんとうに、この世の行きづまりですから、わたしは、もう、それより以上に生きようとは思いません……ですから、どうぞ、そんなようにして、誰にも話さずにこの白骨を抜け出すことに御同意をして下さい、そうして、その方法を、わたしにお任せ下さいな、ね、いいでしょう、どうぞお願いです」
 こう言って、お雪としては珍しいほどの昂奮を以て、一生懸命に訴えてみましたが、竜之助はハッキリした返事を与えませんでした。
 けれども、ハッキリした返事を与えないことが、同意の表示であるように、お雪をして遮二無二《しゃにむに》、思い進ませた結果になりました。
 伝うるところによると、飛騨の白川村に通ずる路は、千岳万渓の間に僅かに一条の小径《こみち》あるのみで、その小径も、夏になると草が覆い隠し、しかもその草むらに蝮《まむし》が昼寝をしており、枝の上には猿が遊んでいて行人に悪戯《いたずら》をしかける。案内人なくては到底、入り難き山径である。そこで、土地の人が外出する時には、必ずなめくじ[#「なめくじ」に傍点]を二三匹と、蟹《かに》を煙草入の間に忍ばせて行く。なめくじ[#「なめくじ」に傍点]は蛇の属であるところの蝮を穴に追い込む道具で、蟹は猿を怖れしむるもの――そは冗談として、春夏の候、白川に入るの困難は、迷宮に入ることの困難の如くであるが、秋冬の間は、道がよく踏めてわりあいにその困難から救われるという。
 そうして、その難路を分け入って、白川村に着いて見れば、土地は美しく、人情は潤《うるお》い、生活の苦もなく、相互の扶助が調《ととの》い、しかも遠人を愛して、悪人といえども、悔いて身を寄するものは、赦《ゆる》して永久に養うことを厭《いと》わない、ひとたびこれに入ったものは、永久に帰ることを忘れる、というような――太古の民、神代の風、武陵桃源の理想郷といったようなものが、よくよくお雪の脳裡に描き出されて、あこがれに堪えられないらしい。そのあこがれがあるところへ、目下の身辺の、なんとなく不安を感じ出したものですから、その想像が、いよいよ切実に誘いきたるもののようです。

         四十八

 別に、その同じ夜更けて、自称お神楽師《かぐらし》の一行は、池田良斎の許に寄り合って、額をつき合わせて、あまりあたりを驚かさぬ程度で、談論しきりに湧くの有様でありました。
 その一団は、いずれも見知り合いの面《かお》ぶれでありますが、ただ一方の炉を守って、お茶番の任をひとりで引受けながら、一座の談論に耳を傾けている一人の女性があることだけが、最も意外で、且つ、異彩であります。
 それは、さいぜん、お雪が極《きわ》めをつけた通り、この冬籠《ふゆごも》りの白骨には、お雪をほかにして女性というものは無かったが、今宵に至って、降って湧いたように、この席に現われたものであります。
 色の乳白色な、小肥りといってよいくらいな肉附の、三十を越した年増ではありますが、キリリとした身のこなし、真黒な髪をいぼじり[#「いぼじり」に傍点]といったように無雑作に巻きつけてあるのは、この際だからやむを得ますまい。
 今まで無かった女性が、ここへ現われたのは、天から落ちて来たのでもなく、地から湧いて来たのでもなく、先刻、お雪が取次をして、北原が迎いに出でたところの、名古屋から来た紅売りその人なんでありましょう。そうだとすれば、旅路の必要から、男装して来たものが、ここではその必要を解いて、本来の姿を見せているものと見られる。
 ここ、白骨に冬籠りをやっている自称お神楽師連が、必ずしも自称お神楽師でないことを知る者は、これをたずねて、女の身で大胆にも、冒険にも、ここまでひとり旅をして来た名古屋の紅売りなるものが、単純な紅売りでないということもあたりまえです。
 それはこの一座の誰|憚《はばか》ることなき談論を聞いていれば、ほぼわかることで、世間ですれば四方《あたり》を憚る秘密会議も、このところで、こうして水入らずにやれば、誰に遠慮もいらぬこと。
 その、遠慮の入用のない秘密会議の雑話と、熟議と、談論とを混合してみると、さすがにこれは炉辺閑話とは全く趣を異にしています。京阪、或いは関東の要所に於て、二三人集まって、こんな事を口走れば、忽《たちま》ち身辺に危害が飛ぶ。それをここでは、つまり露骨に、陰謀が評議されているのです。さすがに陰謀の要点に触れると、声は多少低くなりますが、それに附随して議論を闘わすという段になると、意気軒昂として、火花を散らすの勢いです。
 この秘密会議の内容を綜合してみると、飛騨の高山と、尾張の名古屋とが、話題の中心になるらしい。
 慶長以来の、関ヶ原当時の陣形を細やかに持ち出すものがある。結局、美濃、尾張の平野は、今日でも大勢を制するの中原であって、その中原の後ろを押えるものが、近江と飛騨とだ。石田三成は近江に根拠を置いたが、飛騨を閑却したのはいけない。我々は、飛騨を押えておらねばならぬ。飛騨を押えるのは、難事ではないが、目的は尾張にある。
 小牧《こまき》であり、大垣であり、岐阜であり、清洲《きよす》であり、東海道と伊勢路、その要衝のすべてが、尾張名古屋の城に集中する。
 今し、彼等の間に拡げられた大地図は、尾張の中原平野の地図であって、その上に筋違《すじかい》に打布《うちし》かれたのが、尾張名古屋城の細部にあたる絵図面であります。
 そこで、一座の陰謀の中心は、尾張名古屋の城の研究ということに集まっているらしい。一座の異彩、名古屋から昨晩着いた紅売りの女――も多分、それがために有力な資料を持ち来《きた》した一味の同志の一人と見るよりほかはありますまい。
「名古屋は、怖るるに足りない」
と一人が言いました。
「水戸を、徳川というものに反逆させたのが光圀《みつくに》でありとすれば、尾張を、徳川家から去勢させたのが宗春《むねはる》だ――宗春以後の尾張は、華奢《きゃしゃ》と、遊蕩《ゆうとう》と、算盤《そろばん》との尾張だ、算盤をはじいて女道楽をする気風の間から、天下の大事は捲き起らない、敵としても怖るるに足りないが、味方として頼むには足りない尾張、やがて風向きのいい方へ、どちらでも傾くよ」
と言った壮士は、おたがいに呼ぶところの名をもってすれば、相良《さがら》と言ったり、小島と言ったりする。
 どうも、その談論風発の勢い、どこぞで見たところのある――ああ、そうそう、たしかにあれは三田の薩摩屋敷にいた。しかも薩摩屋敷の浪士のうちでも牛耳を取っている男に、たしかにこれがいた。
 この一座の語るところは以上の如く、その間、かの女性は神妙に一座を取持っている。相良はこの女性を顧みて、時々、
「梅野さん、梅野さん」
と呼ぶ。
 なまなかの道づれや、かりそめの道案内者として、雇うて来たものではないらしい。
 こう言って尾張をそしるもあれば尾張|贔屓《びいき》もあるらしい。
 尾州|慶勝《よしかつ》が水戸の烈公と好く、多年の尊攘論者《そんじょうろんしゃ》であり、竹腰派の勢力は今は怖るるに足らず、金鉄組の勢いが強く、成瀬、田宮の派が固めているから大丈夫――万一の際は、こっちのものだと安心している者もある。
 この相良とか小島という新入りの壮士が連れて来た右の一人の女性。それは、やっぱりわからない。或いは、この一味に投ずるほどの女侠か、そうでなければ、相良が、松本あたりから雇うて来た女案内人か。それにしては肌が柔らかい。

         四十九

 お銀様を誘い出して、尾張の名古屋を的に東海道を上るお角さんの一行は、無事に三州の赤坂の宿《しゅく》まで来ました。
 道中馴れたお角の歯ぎれのいい女っぷりに、事新しく感心したらしいお銀様。そのおかげで、今までに経験したことのない快い旅路をつづけ得たと思いました。
 お角という女は、お銀様に対してこそ、妙に気が引けてならないが、その他にかけては、無人の境を行くようで、さすがの雲助、胡麻《ごま》の蠅のたぐいも、はね返して寄せつけない気象。
 宿に着いてから出るまで、万端の行き方が小気味がよく、啖呵《たんか》が冴《さ》えきって、行き方がさばけきっている。お銀様は、お角と同じ道中をしてみて、はじめてお角のえらさがわかってきたように思います。
 赤坂を出て宝蔵寺まで来た時分に、お角は駕籠《かご》の中から、景気のよい旗幟《はたのぼり》を見て、グッと一つの興味がこみ上げて来ました。
 ははあ――興行だな、芝居ではない、相撲だな、この景気で見ると、まんざら田舎相撲とも思われない、江戸か上方、いずれ大相撲の一行が、この辺で打っているのだな――
 まもなく、櫓太鼓《やぐらだいこ》の勇ましい音。お角の鼓膜にこたえて、感興をそそり、腕がむず痒《がゆ》いような気持がしました。
 天性、興行師に出来ているこの女は、見物心理として感興を湧かされるのではありません。いわば剛の者が、戦陣の前に当って武者ぶるいを禁ずることができないように、いやしくも、興行物となってみれば、大きければ大きいように、小さければ小さいように、都会ならば都会のように、田舎ならば田舎のように、技癢《ぎよう》に堪えられないで、その物音を聞くと武者ぶるいをするところの病があるのです。
「おや、大相撲らしいが、どんな面《かお》ぶれだろう」
と、旗幟の文字を読んでみると、その真先に眼に落ちた一つに、
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「大関、舞鶴駒吉――」
[#ここで字下げ終わり]
という白ぬきの大文字を見た途端に、ツーンと頭へ来てしまいました。
「はあ、舞鶴駒吉――あれからどうしているかと思ったら、こんなところに来ていたのかねえ」
 勧進元は誰がやっているか知らないが、乗込んで見れば存外知った面で、おたがいに、これはこれはという段取りかも知れない。
 茶屋の前で、ちょっと駕籠を休ませて、
「お嬢様」
と後ろを顧みて言いました。
「はい」
 お銀様が、垂《たれ》を上げない駕籠の中から返事をする。
「相撲はお好きでございますか」
「好きでもありませんが、嫌いという程でもありませんよ」
「田舎にしては、ちょっと珍しい相撲がかかっていますから、のぞいてごらんになる気はございませんか」
「お前さんが見たいと言うんなら、わたしも一緒に参りましょう」
「岡崎泊りには時間がたっぷりございますから、なんならひとつ、相撲を見てやりましょう」
「お前さんのよいように」
「では、お嬢様、これから駕籠を下りて参りましょう、石河原ですけれど、そんなに遠いところではありませんから、おひろいでおいで下さいまし」
 お角が先に出て、案内に立ちました。
 相撲場は、直ぐに眼の前の
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