鍋島及び唐津の寺沢、土佐の山内、長門《ながと》の毛利、阿波《あわ》の蜂須賀、伊予の加藤左馬之助、播磨の池田、安芸《あき》の福島、紀伊の浅野等をはじめとして、肥後の加藤清正に止《とど》めをさし、西国、北国の大名総計六百三十八万七千四百五十八石三斗の力が傾注されているこの尾張名古屋の城。
なかにも加藤肥後守清正は、父とも、主とも頼みきった同郷の先輩豊太閤歿後の大破局の到来を眼前に見ながら、その遺孤を擁《よう》して、日の出の勢いの徳川の息子のために、自ら進んでその天守閣を一手に引受けて、おのずから諸侯監督の地位に立ちつつ、一世一代の花々しい工事に奉仕したその心事。
豊臣勢力をして、その犠牲を尽さしめた徳川の城。
ここに慶応某の月、今や歴史は繰返して、落日の徳川の親藩としてのこの名城の重味やいかに。
存在の価値の評価は如何《いかん》。
このほどの、長州征伐の総督の重任を蒙《こうむ》ったのは、この城の城主、尾張大納言徳川慶勝ではないか。
「どうだ、この城を築く時の加藤肥後守の立場と、最近の長州征伐を仰せつけられた尾張殿の立場と、ドコか共通したところはないか」
「そうさ、今の尾張公は、加藤清正ほどの英雄でない代り、まだ、あれほど突きつめた悲壮な境遇にも立っていない。そもそも、長州征伐は、江戸幕府というものから見れば大醜態だが、尾張藩というものから見れば、成功の部だとされている」
「そうさ、第一次の長州征伐に、一兵を損せずして平和の局を結ばしめたのを成功と見れば、それは尾張藩の成功に違いないが、あれが手ぬるいから、第二の長州征伐が持上って、徳川方があの惨憺《さんたん》たる醜態を曝露《ばくろ》したと見れば、最初の成功はマイナスだ」
「だが、ともかくも、最初の長州征伐の成功を、成功として見れば、これは尾張藩の成功に違いない。まして昔の加藤清正のように、敵対勢力のために、悲壮な心で、火中に栗を拾わねばならぬ羽目《はめ》とは違い、宗家のために、兵を用いて功を奏したという面目になるのだ。そうして、第二次の長州征伐の失敗というのも、失敗の原因は、徳川宗家というものの知恵が足りなかった、威力が足りなかったという結果だから、尾州だけを責める者はない。第一次の長州征伐の成功を、尾州の成功として……」
「まあ待ち給え、君は、第一次の長州征伐の成功成功と言いたがるが、あれは尾張藩の功ではないよ、薩摩の西郷が、中に立って斡旋尽力した賜物《たまもの》である。毛利父子を恭順《きょうじゅん》せしめ、三家老の首を挙げて、和平の局を結ばしめたのは、実は薩摩の西郷吉之助があって、その間《かん》に奔走周旋したればこそだ、尾張藩の功というよりも、西郷の功だ」
「うむ、一方には、そう言いたがる奴もあるだろうが、尾張藩のある者から言わせると、西郷などは眼中にない、もとより、和戦の交渉一から十まで尾張藩一箇の働きで、長州の吉川監物《きっかわけんもつ》に三カ条を提示して所決を促したのも、西郷でも何でもない、実は犬山成瀬の家老|八木雕《やぎちょう》であったのだ。近頃は薩摩の風向きがいいものだから、その薩摩を背負って立つ西郷という男が、めきめきと流行児になっているから、なんでもかでも西郷に担《かつ》ぎ込んで、彼をいい子にしてしまいたがるといって、憤慨している者もある」
「つまり、それも一方から見れば、この城に、意気と、人物がないという証拠になる。もしこの城に、会津ほどの気概があり、西郷ほどの人物がいたら、金の鯱《しゃちほこ》がまぶしくって、誰も近寄れない、それこそ天下の脅威だ」
「ところが、この城の金の鯱があんまりまぶしくない。瘠《や》せても、枯れても、徳川親藩第一の尾州家――それが、この城を築くために甘んじて犠牲の奉公をつとめた落日の豊臣家時代の加藤清正ほどの潜勢力を持合せていないことは、尾州藩のためにも、天下のためにも、幸福かも知れないのだ」
「そうさ、頼みになりそうでならない、その点は、表に屈服して、内心怖れられていた、当時の加藤清正あたりの勢力とは、比較になるものではない」
「思えば、頼みになりそうでならぬのは親類共――水戸はあのザマで、最初から徳川にとっては獅子身中《しししんちゅう》の虫といったようなものだし……紀州は、もう初期時代からしばしば宗家に対して謀叛《むほん》が伝えられているし、尾張は骨抜きになっている」
「かりに誰かが、徳川に代って天下を取った日には、ぜひとも、加藤肥後守清正の子孫をたずね出して、この名古屋城をそっくり持たせてやりたい」
こうして南条と、五十嵐とは、城を睨《にら》みながら談論がはずんで行き、果ては自分たちの手で、天下の諸侯を配置するような口吻《こうふん》を弄《ろう》している時、少しばかり離れて石に腰をおろし、お先煙草で休んでいたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が、思いきった大きなあくび[#「あくび」に傍点]を一つしました。
そのあくびで、二人の経綸《けいりん》が興をさまし、南条が苦々しい面《かお》に軽蔑を浮べて、こちらを向き直るところを、がんりき[#「がんりき」に傍点]がまた思いきって両手を差し上げて伸びを打ち、
「先生、そんな英雄豪傑のちんぷんかんぷんは、わっしどもにゃあわからねえ。下町の方へおともがしてえもんでございますね、そうして百花《もか》でもなんでもかまわねえから、名古屋女てえやつをひとつ、拝ませてやっていただきたいもんでございます」
それを聞いて南条が、
「は、は、は、英雄豪傑は貴様にはお歯に合うまい、熱田のおかめか、堀川のモカといったところが分相応だろう」
「え、え、その通りでございます。何でもようござんすから、早くその名古屋女のお尻の太いところをひとつ、たっぷりと見せてやっていただきたいもんでございます」
「まあ、待っていろ、女はあとでイヤというほど見せてやるから、もう少し念入りに、あの金の鯱《しゃちほこ》を見て置け、百」
「金の鯱なんざあ、さっきから、さんざっぱら眺めているんでございます、いやによく光るなあ、と思って眺めているんでございます、つぶしにしてもたいしたもんだろう、と考えながらながめているんでございますが、いくらになったところで、こちとら[#「こちとら」に傍点]の懐ろにへえるんじゃねえとも考えているんでございます、いくら金であろうと、銀であろうと、眺めるだけじゃ、げんなりするだけで、身にも、皮にも、なりっこはありませんからなあ」
「は、は、は、弱音を吹いたな、がんりき[#「がんりき」に傍点]、実はお前をここまで引張って来たのは、我々が英雄豪傑の講釈をして聞かせるためではないのだ、お前に、あの金の鯱を拝ませてやりたいばっかりに連れて来たのだ」
「そりゃ、有難いようなもんでございますが、もう金の鯱も、このくらい拝ませられりゃあ満腹なんでござんすから、そのモカの方をひとつ、見せてやっていただきてえと、こう申し上げるんでございます」
「まだまだ、貴様、そのくらいでは、あの金の鯱が睨《にら》み足りない」
「このうえ睨んだ日には目が眩《くら》んじまいますぜ、あれあの通り、朝日がキラキラとキラつきはじめました、綺麗《きれい》には綺麗だけれど、あんなのは眼のためにはよくありません、毒です」
「なあに、そんなことがあるものか、貴様の眼のためにはいっち[#「いっち」に傍点]よくきく薬だろう、さあ、もう一番、うんと眼を据《す》えて、あの金の鯱を拝め」
「もうたくさんでございますってことよ、眼を据えて見たって、すがめて見たって、あれだけのものじゃございませんか」
「ちぇッ、日頃の口ほどにない、たあいのない奴だ、いったい、がんりき[#「がんりき」に傍点]ともあるべき者が、尾張名古屋の金の鯱を見るのに、そんな眼つきで見るという法はあるまい」
「だって、旦那、こうして見るよりほかには、見ようは無《ね》えじゃありませんか」
「もっと眼をあいて見ろ」
「眼をあけろったって、これよりあけやしませんよ」
「そんなことで見えるものか」
「見えますよ……」
「なあに、そんなことで見えるものか、さあ、こうして頭を真直ぐに、性根《しょうね》を臍《へそ》の上に置いて、もう一ぺん眼を据えて、金の鯱を拝め」
「そんなことをなさらないでも、がんりき[#「がんりき」に傍点]は盲目《めくら》じゃございませんぜ、これでも人並すぐれた眼力《がんりき》を持った百でござんすぜ」
「そのがんりき[#「がんりき」に傍点]を見直せ、あの天守は、下から上まで何層あると思う――」
「そりゃ、下の石畳から数えてみりゃ五重ありますよ、その五重目の屋根のてっぺんに、金の鯱が向き合って並んでいやすよ、南が雌で、北が雄だということでござんす、ああ見えても、雄が少し小《ちい》せえんだと聞きました、そんなことよりほかには、くわしいことはあんまり存じませんね」
「よしよし、それはその辺でいい。それから一つ、引続いてがんりき[#「がんりき」に傍点]、貴様に少したずねたいことがあるのだ」
「改まって、何でございますか」
「貴様は、それ、柿の木金助のことを詳しく知ってるだろう」
「え、なんですって?」
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、空《そら》とぼけたような声をして聞き耳を立てながら、草鞋《わらじ》の爪先で、ポンと煙管《きせる》の雁首《がんくび》をたたく。
「柿の木金助の一代記を、お前は詳しく知っているだろうな、がんりき[#「がんりき」に傍点]」
「柿の木金助ですって、そりゃ何でございます、ついお見それ申しましたが」
「知らんのか」
「え、存じません、一向……」
「商売柄に似合わねえ奴だ、貴様は」
南条にさげすまれて、がんりき[#「がんりき」に傍点]は一層とぼけ、
「そうおっしゃられちまっては一言もございません、何しろがんりき[#「がんりき」に傍点]は、御覧の通りの三下奴《さんしたやっこ》でございまして、先生方のように、字学の方がいけませんから、せっかくのお尋ねにも、お生憎《あいにく》のようなわけでございまして……」
「字学の方じゃないのだ、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》といって、貴様なんぞは先刻御承知だろうと思うから、それで尋ねてみたのだ」
「ところがどうも、全く心当りがねえでございますから、お恥かしい次第でございます」
「ほんとうに知らねえのか、のろまな奴だな」
「これは恐れ入りますな、知らずば知らぬでよろしい、のろま[#「のろま」に傍点]は少し手厳しかあございませんか。いったい何でございます、その柿の木てえ奴は……」
その時に、南条に代って五十嵐甲子男が、いまいましがって、
「ちぇッ、知らざあ言って聞かせてやろう、柿の木金助というのは、あの金の鯱を盗もうとして、凧《たこ》に乗って宙を飛ばした泥棒なんだ」
そこでがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、
「ははあ……」
と、仔細らしく頤《あご》を二つばかりしゃくり、
「なるほど、なるほど、そんな話も聞きましたねえ、凧に乗って尾張名古屋の金の鯱を盗みに行った奴があるてえ話は、餓鬼《がき》の時分からずいぶん聞いてはいましたが、そいつがその柿の木泥棒という奴でござんしたかい」
「柿の木泥棒と言う奴があるか、柿の木金助だ、貴様にでも聞いたら、少しはわかるかと思ったのだ。あの柿の木金助という奴は、どういう思い立ちで、あの金の鯱《しゃちほこ》を盗もうという気になったのか、またその目的を達するために使用した凧《たこ》というのが、どのくらいの大きさで、どういう仕掛で、どうしてそれに乗り、それを揚げる奴がどうしたとか、こうしたとかいうことを、詳しく知りたいがために、貴様をワザワザここまで連れて来たのだが、こっちに教えられてアワを食うような間抜けじゃあ、話にならん――」
「どうも相済みません、子供の時分から、柿の木から落っこちると中気になる、なんぞとオドかされていたものですから、柿の木の方にあんまりちかよらなかったせいでござんしょう。ですが旦那、その凧に乗ったてえ奴は、作り話じゃございませんかね」
「いいや、まるっきり作り話とは思えな
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