だと嘲っている。同時にその記念として残された木柱に向っては、満身の憎悪を禁ずることができないらしい。
その翌日、お銀様は急に自分の持分の小作たちをかり集めて、自分が命令を下して、一つの工事に取りかかりました。
「お前たち、これから気を揃えて、わたしのために塚を立てて下さい。その場所は、わたしが行って指図をしますから、その場所へ、まず土をできるだけ高く盛り上げて、大きな塚をこしらえて下さい。その塚の上へ立てるものは、また別にわたしが工夫して、お前たちに頼みます。今日はこれから、わたしと一緒に、その場所を検分に来て下さい」
彼女は二十四人の男を率いて、自分の家を出ましたが、ほどなく到着したのは、別のところではありません、昨日、散歩のみぎりに足をとどめて、つくづくと見入ったところ。かつてはそこで弁信法師と共に、業火に焼けるわが家の炎をながめながら、一流の強弁を逞《たくまし》うして、弁信と論じ合ったところ。昨日はまた、再建の土木の工事の進捗をながめながら、小賢《こざか》しい人間の復興ぶりの存外に有力なるに業を煮やし、同時に以前の焼野原に、慢心和尚という山師坊主の手によって立てられた木柱に向って、十二分の憎悪と嘲笑を浴びせたところ。
ここへ来ると、お銀様は手に持っていたところの杖で、その地点の上に、かなり大きな円を空《くう》に描きました。
「お嬢様、ここへ、御普請《ごふしん》をなさいますのですか」
「普請というわけじゃありませんが、できるだけ土を盛って下さい。土は、どこから運んでもかまいません、土をできるだけ高く盛って、それを雨で溶けないように固めて、芝を植えて下さい。その上は四坪ほど平らにして置いて下さい。それから四方へ上り口をつけて、石段をつけてもらいましょう」
「で、お嬢様、高さはどのくらいに致したものでございましょう」
「高さは、できるだけ高くして下さい」
小作連のうちの年長は、この注文には、少なからず当惑の色があった。
「できるだけ高く、とおっしゃっても、高いには際限がありませんでございますから……」
「それはわかっていますよ、富士や白根より高くなんて言いやしません、お前たちの力で、このくらいの円さのうちへ、頂上へ四坪ほどの平地を置いて、それでどのくらい高く出来るか、やれるだけやってみてごらん」
「左様でございますか……そうして、四方へ石段をつけますと、その勾配を見計らわなけりゃなりません、勾配はどのくらいにしたもんでございましょう、あんまり急ではいけますまい、そうかといって、あんまり低くてはお気に召しますまいが、高くするには土を固めて芝を植えただけでは持つまいかと存じます、石垣に致しますか、石で畳み上げますか、いずれに致しましても、あらかじめ高さをきめて、やっていただきませんと……」
「わからない人たちだね、いま言った通りにして、できるだけ高くすれば、それでいいじゃないの。でも、それでやりにくければ寸法をきめて上げましょう、塚の高さは一丈六尺八寸となさい」
「一丈六尺八寸でございますか」
「ええ、一丈六尺八寸の高さになるように土を盛って、その上を四坪四方ほど平らにしておくんですよ、そこへまた物を建てるのですから、まわりは石垣でも、石畳でもいけません、塚ですから、土を積み固めて芝を植えるのです、まわりの上り道だけに石段をつけて……都合によっては、土台はこの円よりも大きくなってもかまいません――わかりましたか」
「わかりました」
「わかったら、今日から取りかかって下さい、かかりはお父さんの方へ言ってはいけません、一切わたしの方で持ちます」
父以上の暴君であるこの姫君の命令に、小作連が否《いな》やを唱えるはずはない、農林牧馬の仕事はさし置いても……
ただ一つ、取柄なことは、この暴君は、父に比して人使いが荒い代りに、金払いが極めてよろしいということです。大抵、今まで、この姫君から命ぜられた課役《かえき》に対し、それを完全に仕遂げた時は、通常の労銀の二倍は下し置かれることが例になっているから、迷惑の色は、報酬の艶を以て消し去らるるのを例とする。
果して、その日から、ここに新たな土木工事が起されました。
本宅の再建工事を監督している父の伊太夫が、遥《はる》かにこれをながめて、苦りきった面《かお》をする。
だが、何の目的のために、何の必要あっての工事か、それは問わないことにしている。
三十一
それから数日の間、お銀様が面を見せなかったのは、引籠《ひきこも》って、塚の上に立てられるべき、なんらかの建設物のプランを立てていたものだとも考えられる。
果して、数日を経て、使の者が甲府の町に向って飛ばされました。
それに応じて、使者ともろともに召し出されたのは、甲府で名うての腕利きの老石工でありました。
この石工をお銀様は一間に招じて、そうして自分が手ずから認《したた》めたらしい、一枚の絵像を取り出して――無論、いかなる場合でも、お銀様は、人と面を合わせるに、覆面というものを外《はず》したことがありません。
甲府から呼んだ老石工に、一枚の絵像をつきつけたお銀様は、まず絵像そのものだけで、老石工を驚倒させてしまいました。
藤原家の勢力のほど、その家庭内の風評、ことにお銀様というものの存在について、この老石工は熟知している。さればこそ、こうして、迎いを受けると、時を移さず親方が出向いて来たものに相違ないが、この絵像をつきつけられた時は、さすがの老石工が唖然《あぜん》として、身ぶるいをしてしまいました。
右の絵像に現われた一種異様なグロテスク。これは多分お銀様の創作というものでありましょう。
今まで、神社仏閣の表に、多くの伝説あるグロテスクを刻むことに慣らされた老石工も、この画像には驚かされました。
「お嬢様、これはいったい、何様なんでございますか。わしが若い時分日光へ参りました時、あれにお若様というのがありましたが、そんなんでもございません。箱根の姥子《うばこ》には山姥の石像がございますが、それでもございません。染井の仙人堂には……」
「そんなものじゃありませんのよ、わたしの出鱈目《でたらめ》よ、強《し》いて名をつければ、悪女様というんでしょう」
「アクジョ様でございますか」
「ええ、仮りに悪女様とつけておいて下さい。親方、ひとつこれを丹念にこしらえ上げてみて下さい、もう立てるところは、ちゃあーんときまっていますから」
「なるほど――」
怖る怖る手に取り上げて、まぶしそうに老石工はその絵像をとって、つくづくと打眺めました。
巨大なる蛸《たこ》の頭を切り取って載せたように、頭頂は大薬鑵であるが、ボンの凹《くぼ》には※[#「くさかんむり/毛」、第4水準2−86−4]爾《もうじ》とした毛が房を成している。
巨大な、どんよりとした眼が、パッカリと二つあいていて眉毛は無い。
鼻との境が極めて明瞭を欠くけれども、口は極めて大きく、固く結んだ間へ冷笑を浮ばせている。頭から顔の輪郭を見ると、どうやら慢心和尚に似ているが、パッカリとあいた眼は、誰をどことも想像がつかない。
だが、そのパッカリとあいた、力のないどんよりとした眼が、見ようによっては、爛々《らんらん》とかがやく眼より怖ろしい。かがやく眼は威力を現わすけれど、この眼は倦怠を現わす。威力には分別を含むものだが、倦怠は侮蔑のほかの何物をも齎《もたら》さない。
お銀様のこしらえたのはスフィンクスです。
だが、古代|埃及《エジプト》の遺作に暗示を得たのでもなければ、摸倣したのでもなく、或いはまた直接間接に、その材料を取入れたわけでもなんでもありません、全くお銀様独得のスフィンクスだということが一見して直ぐわかる。
たとえば、復興時代のエジプト人が、母性守護の女神として表徴した、奇怪なる河馬女神トリエスの石彫像に似たと言えば言えるが、もちろんそれではない。
牝牛を頭にいただいたハトル女神の面? アプシンベル神殿の岩窟の四箇の神像のその一つ、クラノフェルの面に似ていると言えば言えるかもしれないが、それでありようはずのないのは、メンツヘテブの石彫がこれと似て非なるものと同じこと。
古代|埃及《エジプト》の彫像は怪奇を極めているが、超現実的ではない、いかなる怪奇幻怪なるものの裏にも、必ずや厳密なる写実がある。
お銀様のスフィンクスには、怪奇はあるが写実はないといってよろしい。
古代エジプト人は、死者の霊魂は必ずその彫像を借りて生きて来る、或いは彫像によって死者の霊魂を迎え取ろうという信仰があった。よし、それは迷信であっても、信仰の一つには相違ない。
そこで六千年以前から、人類生活を持っていた偉大なるハム民族は、その巨大なる想像力と、独得なる霊魂復活の信念を働かせて、多くの巨人的製作を、現代の我々の眼にまで残している。
お銀様のスフィンクスは、こんなものではない。
第一、お銀様には、その巨大なる想像力がない如く、殊勝なる霊魂復活の思想なんぞはありはしない。
そこで怪奇の目的が、大自然へのあこがれでもなく、大自然力への奉仕、或いは恐怖でもなく、ただそれより以降、六千年の人間の世にうごめく眼前の我慾凡俗の間の、呪いと、恨みと、嫉みとが、生み上げた復讐的精神の変形として見るよりほかは見ようがないらしい。
だから、彼女のスフィンクスの怪奇の対象は、彼女自身の、むしゃくしゃ腹の具象変形に過ぎないと思われる。
そこで、この絵像の与うるところの印象は、全体に於てノッペラボーで、部分に於て呪いで、嫉《ねた》みで、嘲笑で、弛緩《しかん》で、倦怠で、やがて醜悪なる悪徳のほかに何ものもないらしい。
これを突きつけられた老石工が、圧倒的に、驚愕と狼狽を与えられたほかに、文句の出しようがなかったのも無理はありません。
それを立てつづけにお銀様は、多くの石刷や、絵像や、堂塔の図面の類を持ち出し、石質がこうの、台座がああの、飾《かざ》り文《もん》はこれを参酌しろのと、あらゆるものを老石工に向って押しつけてしまいました。
かようにお銀様の高圧的な提出の上に、お銀様の家の実力と、多年のお出入りの恩顧というものが、老石工をして、否の応のを申し立てる余地のないことにしているのは申すまでもありません。
委細を了承して、老石工はひとまず辞して帰りました。
それから後、お銀様の屋敷の一角に、石材工場が設けられ、右の老石工が数名の助手をつれて、そこに詰めきりになったことは、まもないことでありました。
三十二
こうして、スフィンクスのプランと、工事の進行とを、遮二無二おしかたづけてしまったお銀様は、次に何を為す?
先日の火事に、藤原の家の焼け残ったもののすべてのうちに、文庫がある。
この文庫に没頭したお銀様が、更に記録の上から調べ物にかかりました。
何を調べる?
多分、近き将来に竣工すべき、この悪女塚のための施主として、その塚に祭るべき悪女の因縁と、経歴との考証に取りかかっているのでしょう。悪女塚の亡霊の主を、書巻の間から求めようとしているのでしょう。
まあ、見ていてごらんなさい、あの通り六寸に切った塔婆形の小木片に向って、いちいち、その書巻の間から探し出した亡霊の主の名前を、書きとめているではありませんか。
また、その一枚一枚を書くごとに現われる、あの面の色――というよりは、覆面の下から浮び出でるところのあの箇々の表情をごらんなさい、一種の痛快なる反抗に、筆のおののくのを感じませんか。たまらないほどの肉感的昂奮のために、眼の色が燃え立つのを認められませんか。
こうして、お銀様の周囲には、あらゆる参考書と、それから選び出され、或いはそれを聯想して浮び出でた人名が、筆に伝わって、六寸の小木片の上に走ります――
いったい、かような異常な昂奮によって、お銀様に選び出されて、その筆端に載せられている、有縁無縁《うえんむえん》の三界の亡霊というは果して何者?
それは狂熱的、昂奮的、反抗的であることは勿論だが、そのうちに、冷静な
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