わたしは、ああして姉妹同様に一つ小屋で稼《かせ》いだ仲でしょう、人一倍、あの子のことが気になって、一日だって忘れたことはありゃしません。そうして、あの人が生きているに違いないと思ったり、もう、疾《と》うに死んでしまったように思えたり、どうも気になってたまらないものですから、神仏《かみほとけ》にお願い申すよりほかはないと思いました。わたしは、どこにいても、朝晩、君ちゃんのために、神様と仏様を拝まないことはありませんのよ。今日だってお前さん……」
 お杉であったよっちゃん[#「よっちゃん」に傍点]は、今日もまた、この万松寺へ参詣したのは、その昔の朋輩思いのために、このお寺には、白雪稲荷のほかに「足止め不動」というのがある。家出人や、駈落者が遠くへは行かないように、この不動尊の足を縛っておくと、動けなくなってやがて帰って来るとの迷信がある――それを信じて、昔の朋輩のお君のために、この娘は不動尊の足を縛りに来たのだが、それが、米友さんの足を縛ったことになったのも有難い……と。
 そうして、この名古屋に来ているという理由も、お君と離れてから、間の山稼ぎも面白くなく、看板は新進に譲り、自分は、これから芸事を本格に勉強しておきたいという志願で、踊りの本場といわれるこの名古屋へやって来て、当時有名な坂東力寿さんのところへお弟子入りしているということ。
 もう、踊りも名取になったから、一旦、国へ帰って、それから四日市へ出て、お師匠さんで身を立てようと思う――というようなことを、米友に語って聞かせました。
 そうして、一通りの身の上話が終ると、結局、
「友さん、そういうわけだから、ぜひ、わたしと一緒に国へお帰り……お前さんが帰ると、土地の人が、どんなにびっくり[#「びっくり」に傍点]するだろう、わたしは、そのびっくりする面《かお》を見てやりたい、ね、一緒に帰りましょうよ」

         二十九

 お銀様というものの存在が、今や有野村にとっては、恐怖の的でありました。
 あの災難の後、伊太夫は、慢心和尚を招じて大供養をいとなみ、追善として、米穀と、金銀との夥《おびただ》しい施行《せぎょう》を試みましたけれど、お銀様というものには、一指を染めることもできませんのです。
 お銀様は、大竹藪《おおたけやぶ》の中の椿の木の下に、茶室をうつして、それに建増しをしたところに、ひとり住んで、その呪われたる存在をつづけて行きます。
 ただ、御当人だけが呪われたる生活にひたる分には、まだいいが、その個人生活が漸く甚《はなは》だしい暴虐として現われて来ることには、周囲としてほとんど堪えられぬことです。
 父の伊太夫のこの娘に対する苦心、もてあましは、今に始まったことではないが、この際一つの悔いを追加したのは、この娘から、あの弁信という奇怪な小法師を取放してしまったことが、今になると、悔いても及ばぬ感じを起させました。
 火事の混乱まぎれに、あの小坊主を冷遇して、出て行かせてしまったことは重大なる失策だ、とはじめて気がついたようです。ナゼならば、あの小坊主のいる間は、とにかく、お銀様は慰められていたようです。慰められないまでも、お伽《とぎ》として座右へ置いても、癇癪《かんしゃく》の種にはならなかったようです。そうしてあの小坊主も、あの娘に向って、思うことはずばずばおしゃべりをしていたようです。
 あの小坊主去った後は、お銀様の傍へ寄りつくものがありません。
 たまに、寄りつくものがあれば、有無《うむ》をいわせず、尾羽をむしり取られてしまいます。近づく者に多少の惨虐を加えて、若干の負傷をせしめずしては帰すことのないのが、お銀様のこの頃です。
 雇人たちは、戦々兢々として、椿の下の御殿へ行くことを怖れます――けれども、主命によって行かねばならない時は負傷を覚悟して、その被害をなるべく少なくするの用意を整えて行きます。
 その負傷の軽重は如何《いかん》――つまり、お銀様は、何者をも、自分と同じような不具者にしてみなければ納まらないのかも知れません。満足に近い人間を見ると、そのいずれかに、暴虐を加えて、不具の程度にしてみて、やっと安心するところに、執念があるようです。
 伊太夫は、供養の時も、慢心和尚に向って、更に辞《ことば》を卑《ひく》うしてこの事を訴願して、娘の教誡をたのみましたけれど、和尚はこの時ばかりは、丸い頭を左右に振って、
「あれは、わしが手にも負えぬ、わしも、あの娘にはおそれいる」
と言ったきりで、もう取りつく島がないのでありました。
 そこで、伊太夫は、小坊主の弁信を手放したことを、返す返すも悔い、あとから追いかけさせてみたけれど、行方は更に知れません。やむを得ずんば第二の幸内をと、暗に当りをつけてみたけれども、その選に当ったものはほうほうの体《てい》で逃げ帰り、それがためにかえって、お銀様の侮蔑と、暴虐とを高ぶらせたに過ぎませんでした。
 だが、人間はいつもそう張りきった心で、精髄を涸《か》らし尽すようにばかりは出来ていないと見え、侮蔑と、暴虐と、呪詛《じゅそ》の塊《かたまり》であるらしいお銀様という人も、時とすると、再び以前のように泣きくずれることがあります。
 小春日和に、どこともなく裏山を歩いて、森を越え、村を越えて、高いところへ出ると、そこに腰を下ろして、じっと山河を見つめているお銀様の眼から、ひとりでに涙の泉の湧き溢《あふ》るるのを見ないということはありますまい。
 そこで、お銀様は、甲府盆地に見ゆる限りの山河をながめます。後ろは峨々《がが》たる地蔵、鳳凰、白根の連脈、それを背にして、お銀様の視線のじっと向うところは、富士でもなく、釜無でもなく、おのずから金峯《きんぽう》の尖端が、もう雪をいただいて、銀の置物のようにかがやくあたりでありました。
 ことに、金峯の山が、お銀様の嗜好に適するというのではなく、この地点に座を構ゆれば、おのずから、視線がそこに向くのであります。そこでお銀様は、日の暮るるまで山を見つめて泣くことがある。
 自然を見ることによって、人事に想到し来《きた》るから、それで泣けるのでありましょう。金峯の山を見れば、その眼下に甲府の町を見ないわけにはゆかない。甲府を見れば、東に蜿蜒《えんえん》として走る大道――いわゆる甲州街道、門柱としての笹子、大菩薩の嶺々《みねみね》を見ないわけにはゆきますまい――
 東に走る大道を見れば、自然、そこで、ついこの間まで暫くの間、数奇なる転変をつづけていたところの生活を、思い出でないという限りはありますまい。
 屋敷にいると、人間の呪詛《じゅそ》で固まったお銀様が、高いところへ来ると、少なくとも人間界を下に見るか、或いは水平線に見ることができる。その上に、人間に比較しては悠久性を有する生命のただずまいが存在しているということを見る。
 そこで、胸が開けるのでしょう。胸が開けると、堰《せ》かれていた涙が切って落されるものと見える。
 そこで、お銀様は人を恋うて泣く。
 かつて、愛し且つ虐《しいた》げた美貌の女中お君という女が恋しくなる。お銀様は多分、お君の最期《さいご》をまだ知ってはいまい。あの子はどうしたろう――という半面には、嫉《ねた》みと、憐みとが纏綿《てんめん》する。駒井の家に引取られて、殿の寵に溶けるような思いをしているかと思えば、むらむらとわが魂が戦《おのの》く。
 柔順な、純真なあの子を、わが心のひがみから、あまりにも虐げ過ぎたと自覚した時には、たまらない悔恨に責められる。
 お君を想い出して、次に竜之助のことに及ぶと、お銀様の全身の鱗が逆立ってくる。そのもだもだした、いらいらした風情で煽《あお》られると、居ても立ってもいられなくなる。
 その時は、どうかすると、眼をつぶって、高いところから急にかけ下りることがある。
 肉の中にうめく、八万四千の虫が、肉の中でいら立つと見える。
 たまらない。その時は、夢中に馳け出して、やっと踏みとどまったところもまだ高い。もしそのところが断崖であったら、その肉体は砕けてしまったでしょう――
 平地に至るまでには、自分の屋敷へ帰るまでには、まだまだ多分の距離がある。そこで、踏みとどまったお銀様は、またぐったりと身を落して、草原の上から、遠くつづく、わが家の森を見る。
 山も、森も、水も、藪《やぶ》も、見渡す限りは自分の家の屋敷内である――ここは、過ぐる夜、弁信法師と二人で、わが家の焼ける炎を見て、思う存分|話《はな》し敵《がたき》となったところだ。
 その時、弁信は何と言った。

         三十

 お銀様は、弁信の言葉を思い出しながら、当夜の業火のあとをつくづくとながめる。
 火が、すべてを焼きつくす革命の痛快に驚喜したのも何の事――その時の業火のあとを少し避けて、今し、盛んなる再建工事が、前よりも一層の規模を以て、進行されているではないか。
 全く、革命がどこにある。絶滅がどこにある。浄化が、魔化が、それが今、どこに権威を示しているのだ。
 復興が早い。焼け尽したと見せた蓆《むしろ》を、また直ちに裏返して青々としき直す、人間の小賢《こざか》しい働き。自然はまたいい気になって、材料を供している。
 お銀様は充分の冷笑をたたえて、その新築の作事工場から焼野原を見ました。
 その焼野原のまんなかに、そそり立つ巨大なる一本の木柱を見出した時に、お銀様は、またもや、極めて皮肉なる冷笑を禁ずることができませんでした。
 お銀様は、その日のことを狂言と見ている。父の伊太夫が、尊信|措《お》かざるところの慢心和尚という坊主を、役者と見ている。あの災難の後、父がわざわざあの坊主を屈請《くっしょう》して、施行と供養を催して、自他の良心を欺かんとしたあの唾棄すべき喜劇。滑稽とも、悲惨とも言い様のないほどに、厭悪《えんお》を感じているのは事実です。
 祖先以来、積み蓄えた金銀財宝を七日の間、あらゆる人に施行してみたところで、それが何だ。
 ことにあの気ちがいじみた、まん円い坊主が、力自慢をこれ見よがしに、あの木柱をかついで来て見せて、俗衆をあっといわせ、その図を外さず、わざと自分の握り拳かなにかを振りかざして、グッと自分の口中へ入れて見せてのしたり[#「したり」に傍点]顔。
 虫酸《むしず》が走るではないか。父は手もなく、あの山師坊主に乗ぜられているのだ。わが藤原の家に起り来りつつある多年の矛盾、撞着、滑稽、紛糾、圧迫、争闘、それが膿瘡《のうそう》となり、癌腫《がんしゅ》となって、今日まで呪われて来た報いが、あんな坊主にわかってたまるものか。あの坊主の、あんなに見え透いたお芝居で、この悲喜劇の幕が切れるものなら、切ってごらん。
 あの木柱は、あれは何です。
 あれをかついで来た、あの気ちがい山師坊主の怪力とやらが、そんなに有難いものですか。
 牛や馬が無いじゃあるまいし。
 それを、仔細らしく、あの木柱へ筆太に書き立てたあの文句は何です。
 そうして、仔細らしい文句を、人を食ったような、まじめなような、物々しい気取りで書き納めて、それを押立ててその下で、伊太夫はじめ一族が参列の施餓鬼か、施行か知らないが、その物々しさと、あの坊主の悪ふざけ。藤原の家の財宝を、わがもの顔にふりまいて、あまねく一切に慈悲善根を衒《てら》う憎々しさ。
 それを、委細かしこまり上げて、いちいち、渇仰尊信して、命《めい》これ従うばかばかしさ。あんな間抜けのお芝居で、この宿業とやらが救われ、この亡ぼされた魂とやらが浮べたらお気の毒。
 滑稽の沙汰《さた》だ。まさに百分の嘲笑に価すべき振舞だ。
 その滑稽と、嘲笑の的となって残されているのがあの木柱ではないか。卒塔婆《そとば》とかなんとかいう人もある。自分の眼から見れば、慢心坊主という山師坊主が、わが藤原家を愚弄《ぐろう》に来たその記念として残されているものだ。
 白々しい、おかしらしい、癪《しゃく》にさわる――
 お銀様は、慢心和尚という坊主を快からず思っている。あの時の施行供養を、緞帳芝居《どんちょうしばい》も及ばない愚劇
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