山へ行こう。飛騨の高山はあれで、幕府の知行所だ、講武所の山岡鉄太郎の知行所もある、ちょっと、山国の京都といった面影があって、なかなかいいところだよ。それから東海道方面へ出るのは順だが、どうだ、方向を全く一変して、我々と共に越中へ行かないか。越中は我々の故郷だ、佐々成政《さっさなりまさ》のさらさら越えではないが、これから美濃尾張の方面へ出るのは平坦な道だが、越中へ入るのは非常なる難路だ、それをひとつ我々で越えようではないか、越中の立山、加賀の白山をひとつ廻ってみる気はないか、山の中だけに、とても、東海道筋の平凡な道の及びもつかぬ面白いところがあるぜ」
 どんなことを言い出すかと思うと、丸山勇仙がしゃらけきって、
「おれは、もう山は御免だよ、早く、名古屋へ出ようではないか、岐阜から名古屋、東海道筋へ向うのは、我々亡者にしてからが明るい気分になる、名古屋美人を前に置いて、いっぱいやりたいものだテ」
「それもそうだな。ともかく、我々はたったいま着いたところで、まだ地の理を研究していない、さあ上ってひとつ、前途の方針をとっくりと定《さだ》めようじゃないか」
「よかろう」
 彼等は、ほとんど、ピチャピチャと雀がゆあみをするくらいにして、もう上りにかかるから、兵馬もつづいて上る。二人は、がやがやと話しながら、ついに兵馬の部屋に乱入してしまいました。
 部屋に入ると、いきなり仏頂寺は、床の間に飾った甲冑《かっちゅう》を目にかけ、
「やあ、古強者《ふるつわもの》が控えているぞ、これは相当のものだ、一方の旗頭が着用したものだ、時代は北条中期かな――鎌倉前期までは行くまい」
と言いながら、無雑作にまず兜《かぶと》から引きはずして、自分の頭の上へのせました。
「手荒いことをしてくれ給うなよ」
 兵馬は、おとなしく頼むように言うと、仏頂寺は、
「何だい、おてやわらかに取扱わねばならん甲冑が役に立つか。よしよし、この際ひとつ拙者が、正式にひっかついでみてやろう。拙者のかっぷくは、そう人には譲らないつもりだが、昔の人の甲冑は規模が大きいな。どれひとつ正式に着用して、ためしてみてくれよう」
といって、仏頂寺は、飾り物の甲冑物の具をいちいち分解にかかりました。
 よせとも言えない。
「勇士組にいる時、甲冑《かっちゅう》の着け方も一応は覚えたんだが――どうも勝手を忘れてしまったようだわい。今時は、戦争にも甲冑ははやらんでな。こんな甲冑は実用にはならんので、長州征伐の時、幕軍が破れて歩兵隊が奇功を奏したのも、一つはこの武装のせいだよ。幕軍は元和慶長以来の、家重代のやつを着飾っておどかそうと試みたものだが、長州方は、軽快な筒袖のだんぶくろみたようなものだ。そこで、関ヶ原では、驍名《ぎょうめい》を轟《とどろ》かした井伊の赤備えなんぞも、奇兵隊のボロ服にかかってさんざんなものさ。今時の甲冑は飾り物に過ぎないが、源平時代はこれが実用さ、これでなければ戦《いくさ》もできないし、人気も鎮まらないさ。しかし、いいもんだな、形と言い、こしらえと言い、華にして実、実にして雅、よろいかぶとは武装の神様だ、位から言っては、いつまでも廃《すた》らないのさ。これをこう着用して、馬に跨《またが》って先登に立つと、三軍の士気がおのずから奮う、その点もダンブクロとは威力が違う、飾り物でもなんでも、この甲冑というやつは尊重しておかなくちゃならん――ところで……」
 仏頂寺弥助は羽織を脱ぎ捨てて、床の間の鎧《よろい》をいちいち取外《とりはず》して、品調べにかかってから、一応覚束ない手つきで、
「まず小袴《こばかま》から……」
 色のあせた緞子《どんす》の小袴をとって帯の上に結び、
「誂《あつら》えたように三星まである。ところで、この紐をこうしめて前へ引きまわし、前締《まえじめ》に引通して結ぶ。普通の袴のように、前の紐をさきに結んで、後ろのをあとで結ぶのはいけない」
 小袴をつけ終ってから、
「足袋はあと、脚絆《きゃはん》は略して……草鞋《わらじ》も略して、それから脛当《すねあて》だ。多分これは、多門脛当というやつだな」
 脛当を取って、まず左の足につけながら、
「こうして左から先にはいて……右足を後に、おっと、この承鐙肉《あぶみずり》は内側にならなけりゃいかん。どうも、下へ脚絆を穿いとかないと、気色が悪いけれど。そうして紐は空解《そらど》けのしないように、結び目を左右に分けてはさんでおく。それから佩楯《はいだて》か……これは威佩楯《おどしはいだて》になっている、こうはいて、こう締めて、さてこの前締をどうしたものかな。すべて前締のあるのは、腰をさがらせないように特に注意してあるのだから、無用と思って閑却すると、立働きの時に、その罪がテキメンに現われて来る。さてお次は決拾《ゆがけ》かな」
 決拾一対を探り出して、
「近代の具足では、この決拾というやつはあんまり使わないらしい。馬上に弓の場合だな。これも左が先、右が後……すべて甲冑の着用には左を先にすることが定法《じょうほう》になっているのだ。さあ、この次は籠手《こて》だ」
 鉄にかなりの時代のある筒籠手を引っぱり出した仏頂寺は、二三度ひっくり返して、
「さあ、これが本当の小手調べだ、どっちが左だい……そうか、まあ、こんなことでよかろう、この辺でお茶を濁しておけ」
 一応、籠手《こて》をつけ終った後に、脅曳《わきあい》、胴を着けて、表帯《うわおび》を結び、肩罩《そで》をつけ、
「これから両刀だ、これは御持参物を以て間に合わせる」
と刀をさし、次に職喉《のどわ》、鉢巻、頬当《ほおあて》から兜《かぶと》をかぶり終って一通りの行装をすませて、ずっしずっしと室内を歩み出し、
「どうだ、武者ぶりは……」
「天晴天晴《あっぱれあっぱれ》――元亀天正時代ならば押出しだけで差当り五百石の相場はある」
 丸山勇仙がほめる。と、仏頂寺弥助は長押《なげし》にかけた薙刀《なぎなた》を見つけて、
「槍にしたいものだが、薙刀じゃ少し甲冑につりあわんけれど……」
といって、それを取下ろして、小脇にかい込み、床の間へどっかと坐り込んで、ジロジロ見廻している。
 丸山勇仙は、その武者ぶりをほめたり、けなしたりしながら、物の具の威《おど》し方や、糸の色、革の性質、象嵌《ぞうがん》の模様などを仔細らしく調べている。
 兵馬は、苦々しい思いで、彼等の為すままに任せている。
 暫くしてから、仏頂寺弥助が、立ち上って、
「ああ、なかなか重い、昔の武人は、とにかく、これで馬上の働きをしたんだからエライ。もっとも我々でも、いざ戦場となれば、この程度で働けないこともあるまいさ」
「君だからいいけれど、僕や宇津木君なら、つぶされてしまう」
と丸山勇仙が言いました。
 そこで仏頂寺も、兜から、おもむろに武装を解きにかかって、取外すと、丸山勇仙が介添気取りで、いちいちそれを整理する。
 それから、鎧櫃《よろいびつ》へ納めようとして、一応鎧櫃の中を探ってみると、勇仙が手に触れた一冊の古びた書物を探り出し、妙に眼をかがやかして、それを二三枚繰って見たが、ニヤニヤと笑って、仏頂寺の眼の前につきつけ、
「まだ一くさり残っていた」
 仏頂寺が、その冊子をのぞいて、渋々と手に取り、
「は、は、は、これこれ、これはまた古来、軍陣中無くてはならぬ一物となっている」
 二人は額をつき合わせて、この書物を見ながらしきりに笑っている。
 兵馬は、ただ苦々しい思いばかりしている。はしゃぎ廻りながら二人は冊子を見てしまうと、兵馬には見ろとも言わないで、そのまま、また鎧櫃の中へ抛《ほう》り込み、それでも感心なのは、いちいち二人でていねいに、もとの通り、鎧櫃の上へ、物の具を飾りつけて、薙刀も以前のところへかけ、そのついでに仏頂寺は障子を細目にあけて外を見まわし、
「いや、この分では大した降りもないようだぞ、明るくなっている、やむかも知れない。やむとすれば、この間に出立しようではないか。今から三人で押し出せば、少々遅着はするが飛騨の高山までは大丈夫。どうだ、宇津木、出かける気はないかい、多少の雪を冒《おか》しても、出立する気はないか」
「そうさなあ」
 兵馬も、ちょっと、返答に困りました。それは今日は籠城《ろうじょう》のつもりでいたから、天気に望みがあり、好きでも嫌いでも、こうなった退引《のっぴき》ならぬ同行者がある以上、ここに逗留をしていなければならぬ理窟はない、といって、この二人の亡者と共に、雲の如く、煙の如く、人間の如く、幽霊の如く、出没進出を共にする気にもなれない。
「出かけよう、出かけよう、こうしていたって仕方がない。さて出かけるとすれば、いったいどっちへ行くのだ」
 彼等は、出かけることが先で、その目的があとになる。行きつきばったりとはいうけれど、その行きつきが、臨時で、無方針になっている。兵馬のは、とにかく、方針が定まっているが、彼等は出没自在になっている。
 だからこの場の風向きで、兵馬が飛騨の高山を主張すれば、むろん彼等もそれに同ずるだろうし、ことに仏頂寺の故郷だという越中方面に爪先が向けば、彼等は喜ぶだろう。
 だが、その時、丸山勇仙が、趣の変った異説を一つ出しました、
「せっかく、平湯へ来たものだから、今日は一日ここで休息をして、この附近で名立《なだ》たる大滝を見て行こうじゃないか、高さ三千尺、飛騨の国第一等の大滝が、これから程遠からぬところにあるそうだ、それをひとつ見物して、明朝出立のことにしたらどうだ」
 この提議が容《い》れられて、今日はとにかく逗留ということになり、仏頂寺、丸山は、肉を煮て酒という段取りです。

         二十三

 肉を食い、酒を飲み、飯を食い終った時分、天候も見直したようだから、三人が揃って、ここから程遠からぬ飛騨の平湯の大滝を見に出かけます。
 乗鞍よりの山路を行くと、山腹が急に二つに裂けて、大滝を不意打ちに開いて見せられた三人は、
「あっ!」
と言いました。
 よく旅人がいう、那智を見る時は那智を見に行く心になり、華厳をたずねる時も華厳をたずねる心で行くから、予想より以上に驚くこともあり、驚かぬこともあるが、飛騨の平湯の大滝は、不意打ちに現われるから驚かされることが多い。
 水量に於ては華厳に優り、高さに於ては中段以下が山谷に遮《さえぎ》られて見えないから、ちょっと際限を知り難い。
「あっ!」
と言って三人が立ち尽すこと多時、
「豪勢だな、おれは那智は知らんが、たしかに日光の華厳以上だよ」
と丸山勇仙がまず驚歎の声を上げる。
「おれは那智も、華厳も、知らないから、でもまずこれがおれの見たうちで日本一かな」
と仏頂寺弥助が、眼をすましながら、
「尤《もっと》も、おれの国の越中の立山の中には、とても大きいのがあるそうだが、おれはまだ見ない」
と言いました。
 兵馬も実際、この大滝は予想外に大きかったことを感歎しているらしい。そこで、仏頂寺は兵馬を顧みて、
「宇津木君、君は諸国を廻って歩くが、これに匹敵するやつを見たかね」
「僕もまだ、華厳も、那智も、見ていないですからな」
「そうか」
 そこで、この三人のうちの最も滝通は、丸山勇仙ということになる。
「ここにいては、滝壺がわからんからな、何とも言えないが、水の豪勢なことはたしかに華厳以上だ。華厳の滝は、うらから元まで、ちゃんと一目に見ることができるが、この滝はそうはいかない、高さのことは華厳に比して何とも言えないが、土地の言伝えでは三千尺あるといっている」
「三千尺」
「うむ」
「三百丈だな」
「左様」
「間に直すと……」
「五百間さ」
「五百間――一町を六十間にすると」
「八町と少し……だが、三千尺はうそ[#「うそ」に傍点]だろう、唐の李白《りはく》の算盤《そろばん》でもなければそうは割り出せない、常識から言ってみてな。三千尺といえば、山にしたところでかなり高い山だからなあ」
「李白は三千ということをよく言いたがる」
「とにかく三千尺としておいて、さて滝というものは、直立して目通りを見るものでもない、高所から俯して見
前へ 次へ
全52ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング