掛のやつを好んでやるためによく犠牲者が出ます……それでもまあ、怪我だけで幸いと言わねばなりません、五体を微塵《みじん》に飛ばされる奴もありますからな」
と北原が言いました。
そこで、また、どうやら話の呼吸が合わなくなったらしい。
北原は、それを自分の推想が外《はず》れたと感得したから、で勢い前言の訂正、且つ、つぎたしをしなければならないと思って、
「花火ではございませんでしたか」
「花火ではありません――戦争《いくさ》でやられました」
「え、戦争ですか」
「戦争というほどの戦争じゃありませんがね、いくさの真似事《まねごと》のようなものですけれども、それでもいくさでした」
「そうですか、いくさ[#「いくさ」に傍点]においでになりましたか」
「ふとした行違いでしたよ」
「どちらでしたか、その軍《いくさ》は」
「大和の十津川です」
と竜之助が言ったので、お雪ちゃんがヒヤリとしました。
それは話の半ば頃からです。
眼の悪いことは隠せないにしてからが、その原因までを語る必要はあるまいに、問われたらば、何とでもそらしておく道もあろうに、煙硝でつぶれた、いくさ[#「いくさ」に傍点]でやられた、その調子で、スラスラと大和の国の十津川まで言ってしまったから、傍に聞いていたお雪がハラハラしたのは、実は自分さえ、今まで大和国十津川というところまでは聞かないでいるからなのです。
どこぞで負傷をしたたたり[#「たたり」に傍点]ということは、今迄もきいていたけれど、それをくわしく問うのもなんだか立入りがましいようであり、また、その過ぎ去った原因を洗い立てするのは、この人の古い傷に痛みを感じさせるように思われたから、お雪ちゃんとしては、それに触れたくなかったからです。それをこの場では、問われもしないにすらすらと大和国十津川まで名乗ってしまったものだから、お雪がハラハラするのも無理はありません。
何事をも包みたがるというわけではないが、包んで置いて上げた方がいいと信じて、これまでかしずいて来たのに、案外にも初対面の人に心置きのないこの始末ですから、全く今日は天気のせいではないかと思いました。
でも、相手が北原さんでよかった、先日やって来た、あの手のこわくて冷たい無気味のさむらいのようなのに向って、こう心安立《こころやすだ》てに話し出されては、全くやりきれない、それでも北原さんでよかったと、お雪は傍から、やっと胸を撫で下ろしていると、その頼みきった北原が、案外に気色《けしき》ばんできました。
「え、大和の十津川ですって……」
「そうです」
「あなたがなんですか、大和の十津川のあの天誅組《てんちゅうぐみ》の騒動へ加入なすったのですか」
「え、ふとした縁でね」
「ははあ。それはそれとして、十津川ではどちら[#「どちら」に傍点]へお附きになりました、勤王勢《きんのうぜい》でございましたか、それとも幕府方でございましたか」
「どちらというわけもないんですがね、途中で、十津川行の浪士たちに逢いましてね、それにすすめられたものですから、ついその気になったまでです」
「それでは勤王方でございましたね」
北原賢次は、なんとなく我が意を得たとばかり、膝を進めました。
「なんでも中山侍従殿というのを大将にして、事をあげるにはあげたが、数の相違で敗《やぶ》れて、拙者も十余名の同志と紀州路へ落ちて行く途中、猟師の奴に爆弾をしかけられて、こんなことになってしまいました」
「あ、そうでしたか、それはどうもはや、左様な名誉の御負傷とは存じませんでした、なみたいていの御病人だとばかり思っていたものでございますから」
「なあに、名誉の負傷でもなんでもありゃしませんよ」
と竜之助が、苦笑いしました。
「いいえ、名誉です、十津川の一戦は勤王の火蓋《ひぶた》でした、あなたがその名誉ある一戦に加わって、犠牲の負傷を残されたということは、大きなる誉《ほま》れでなくて何でしょう」
と北原が言いました。
「それは本当に勤王心があって、やった事なら名誉かも知れないが、拙者のは出たとこ勝負で、首を突っこんだだけです」
と竜之助が、軽くさばくのを、北原がつり込まれて、
「何事でもです、幕府を敵として孤軍報国のあの義戦に加わろうというのは、赤心鉄腸を備えた勇士でなければできないことです」
北原賢次がムキになると、竜之助はツンと少しばかり天井を上に向いて、何か言いそうで言いませんでした。
そこで北原だけに、ハズミがついて、それをキッカケに、しきりに十津川戦陣の物語に鎌をかけて、この勇士に当時実戦の景況を物語らせ、その名誉の負傷のよって来《きた》るところを詳《つまびら》かにさせたいものだと、鎌だけではないモーションをかけてみたりしたが、一向に手答えがありません。
そこまでは、お雪ちゃんもハラハラするほど話しぶりが進んで来たが、そこへ来ると、どうしても動かなくなってしまいました。
そこで、北原賢次がもて余しきった時に、お雪ちゃんが、
「先生、あなたが、大和の十津川とやらで、そんなお怪我をなすったということは、わたしは今まで存じませんでした」
「いいえ、お雪ちゃんにも話して上げたことはあるはずですよ」
「それでもお聞きした覚えがございませんもの」
「たしかに話して上げたはずなのを、お前さんが忘れてしまったのだろう」
「そうでしたか知ら……」
お雪が無邪気に首をかしげた時に、北原賢次が三度四度、呆気《あっけ》にとられてしまいました。
賢次は眼を円くして、なんだかかだかわからないような気配で、お雪と竜之助の方を、かなりの距離のあるところを、忙がわしく眼を急転させて、言句がつげないような有様です。
陪席《ばいせき》を仰せつかっている村田も、どうも板につかないような気持に堪えられません。
そこで、この両室の空気がいやに変なものになってしまったのを、竜之助は眼が悪いから見て取るわけにはいくまいが、お雪ちゃんという子が、そのままはいられないからとりつくろう気になって、
「上方《かみがた》の方では、しょっちゅう、いくさ[#「いくさ」に傍点]ばかりしているんですってね」
と言いますと、
「しょっちゅうというほどでもありませんがね」
と北原が答えました。
「いやですね、いくさ[#「いくさ」に傍点]なんて」
「戦《いくさ》も、時と場合によりけりでね、大義名分のために戦わなければならぬこともありますからな」
「戦《いくさ》をしないでも、何とか話合いがつきそうなものじゃありませんか」
「だって時と場合ですからね、今に上方《かみがた》の戦が江戸までやって来ますよ、お雪ちゃん」
「そうなると、日本中が、いくさ[#「いくさ」に傍点]になっちまうんですね」
「まず、そんなものです、お雪ちゃんの故郷だという甲州なんぞも、当然捲き込まれてしまいますね」
「でも、この白骨までは来ないでしょう」
「さあ、日本中が戦《いくさ》になっても、ここまでは舞い込んで来ますまいね、第一、大砲《おおづつ》が通りませんからな」
「ほんとうに、わたしたちは仕合せです、いつまでもこの白骨におりましょう、ねえ、先生、あなたも、たとえ、お眼がなおっても、二度とふたたび戦に出ることなんぞはおよしあそばせ」
この時、北原賢次が、むらむらとしてお雪ちゃんの面《かお》を見てしまいました。これではせっかくバツを合わせようとした彼女のきりまわしが何にもなりません。そういう事に一向に頓着しないお雪ちゃんは、今度は北原の方に向いて無邪気な笑顔、
「北原さん、あなたも、ずいぶん、喧嘩っ早いようなお方ですけれど、戦《いくさ》なんぞにお出になるのはおよしなさい」
と言いました。
「だが、お雪ちゃん、おたがいに白骨温泉の中へ白骨を埋めに来たわけでもありますまい、いつか、それぞれの国と仕事とに返らなければならないでしょう」
「そう言えば、そんなものですけれど……どうかすると、一生こんなところで暮らしていたいような気持もしますね」
その時、北原は、「お雪ちゃんのように相手さえあればね」と言ってやりたい気分になって、その言葉が咽喉《のど》まで出ましたけれど、初対面の何とも知れぬ隣室の人に気を置かれて、だまって、思わず村田と面《かお》を見合わせましたが、やはり、その辺にお気づきのないお雪ちゃんは、
「ねえ、北原さん、あなたのお国は、やはりこの信州の伊那《いな》だとおっしゃいましたが、あちらのお話をお聞かせ下さいませ。いつかここの白骨温泉の木曾踊りのことが話に出ました時、あなたは伊那の飯田には、あれに負けない伊那踊りがあるといって御自慢になりましたでしょう、その伊那踊りですか、伊那節ですか、それを一つお聞かせ下さいな。ね、先生、ここでそれを歌っていただいてもようございましょうね」
「ははあ、伊那節をわしにうたえとおっしゃるんですか、北原の無粋を見かけての御註文ですね。もとより歌ったり踊ったりは、こちらのガラじゃありませんが、尤《もっと》もガラで歌ったり踊ったりするわけじゃない、過ぐる夏には、とてもすごい体格をした所謂《いわゆる》イヤなおばさんなるものが存在して、すごい体格は体格ながら、肉声は甚《はなは》だ美にして、よく音頭取りをつとめ、白骨温泉の女王の地位を贏《か》ち得ていたというくらいですから、ガラが違っても歌えない、踊れないという限りはないが、拙者なんぞは無茶です。ただ、伊那節の歴史と文句だけは、木曾の御岳山《おんたけさん》にも負けないものがあります、なかなか雅趣があっていいのがあります……だが、わが伊那の、天下に向って誇るべきことは、そんなところにあるのではない、天竜峡の絶勝と並んで、わが伊那の地が山間の僻陬《へきすう》にありながら、尊王の歴史に古い光を持っていることです」
北原は一種の昂奮を感じながら、信州伊那の郷土を論じ、天竜峡のことに及んで、ぜひ一度、天竜峡を見においでなさい、御案内いたしましょうと言って、はじめて相手が、相手ということに気がついて、まずい面《かお》をするのを、お雪が傍からとりなして言いました、
「うちの先生は風景を御覧になることはできないけれど、風景のお話を聞くことは大好きで、風景のお話をして上げると、それが忽《たちま》ちその夜の夢になりますそうで、よい話を聞かせていただけばいただくほどよい夢が見られる、そこで、わたしも、なるべく先生によい夢を見せて上げるように、知っているだけのお話はして上げたり、本を読んで上げたりするつもりですけれども、わたしだけでは、とてもその材料が足りません」
お雪としては、それを単純なとりなしのつもりで言ったのでしょうけれど、北原は単純に聞き捨てることができませんでした。
この二人の間は何だ。
炯眼《けいがん》な北原は早くも、このバツの合わない二人の呼吸を見て取らないわけにはゆかないと共に、いよいよ解しきれないものが、頭の中を躍起とさせるようです。
この二人の間が兄妹でないことは、ここへ来た当初から見えきっているし、主従ではない、先生呼ばわりをしているが、あの男はいったい、お雪ちゃんの何の先生なのだ――
美少年録を臆面もなく読み合う二人の師弟関係――
笑わせるな。
北原のこういった観察が、全宿中へパッとひろまったのは、なにも北原が吹聴《ふいちょう》したときまったのではないが、二人がこの座敷を去ってから後のことでありました。
二十
これより先、白骨の温泉を立ち出でた宇津木兵馬は、飛騨の平湯をめざして進んで行きました。
白骨から平湯まで、僅か四里の道とはいえ、もう少し雪でも深くなれば、通れない。
雪でなくても天候不順の時は、いかなる山荒れが出現しないとも限らないが、天気は極めてよし、そして途中ひょこりと、中の湯まで行くという猟師と出逢い、その猟師がすすめに従い、道草気分で、中の湯の温泉へちょっと立寄ってみる余裕まで持つことができました。
中の湯の温泉には、宿屋というものはありません。
板を屋根にした掘立小屋が、空しく朽ちて、湯は川の端、巌の間の到るところに湧いている。
前へ
次へ
全52ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング