、
「まだ、来ねえかよ、あの野郎は、友様は、鎌倉の右大将はまだ来ねえかね」
と言いました。そこで、はじめて正体が、すっかり曝露《ばくろ》してしまいました。
この烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》の祭主殿がすなわち、さいぜんから声のみを聞かせて姿を見せず、心ある人に気をもませたこれが道庵先生でありました。
烏帽子直垂の道庵先生は、こうして立ち上り、向き直って笏《しゃく》を以て群集をさしまねきながら、
「友様は、まだ来ねえかね」
と宣《のたま》わせられました。しかし善良なるこの村の紳士淑女と、秀才と、令嬢とを以て満たされたこの一席は、祭主の調子のざっかけなのと、風采《ふうさい》、挙動の悪ふざけに過ぎたようなのに、嘲笑をこめた喝采を送るような無礼な振舞はあえてしませんでした。
「迎えに行って来て上げましょうか」
かえって、極めて質朴《しつぼく》にして、好意に満ちた親切を表わしてくれました。
「それには及びませんよ、ありゃ、正直な人間ですからね」
と道庵先生が言いました。
その時に袈裟衣《けさごろも》の老僧が、やおら立ち上って――その袈裟衣を見ると、これはたしかに日蓮宗に属する寺の坊さん
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