した序破急《じょはきゅう》、あれが道庵先生の声でなくて何である。
 ところがこの一座のどこにも、その先生の姿が見えない――

         三

 さいぜん、米友がこの森の、臨時祭壇に近いところまで来た時分に、この陽気な笑い声、話し声の中から、ひときわ人間味を帯びたわれがねで、「ワ、ハ、ハ、ハ、そう来られちゃ、どうもたまらねえ」とわめかれた声は、聞きあやまるべくもなき道庵先生の声であるのに、その声が、たしかにこの席から突破されて来たものであるのにかかわらず、現場を見れば、その人の影も、形も見えないから、全く狐につままれたようなものです。
 だが、この一席の紳士も淑女も、秀才も頑童《がんどう》も、そんなことを少しも気にかけてはいない。いずれも平和なほほえみをもって、恭しく祭壇に向って黙祷を捧げているところの、烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》の祭主の方のみを気にしていると、この祭主殿が、やがて思いがけなくも、すっくと立ち上りました。立ち上るといきなり、なり[#「なり」に傍点]にもふり[#「ふり」に傍点]にもかまわずに、大きなあくびをしてみたが、そのあくびを半分で切り上げて、言葉せわしく
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