金が欲しいためではございません、お金が欲しいくらいならば、この清洲《きよす》へは参りません、柿の木金助ではございませんが、あの名古屋のお城のてっぺんに上って、いただいて参ります」
「憎い奴じゃ、何のたくらみあって、これへ来ました、一刻も早く立去らねば、容赦はしませぬぞ」
 許すまじき気色《けしき》を、障子の外では存外、安く受取って、
「奥様……実のところは、ふとした縁で、銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方様、つまり、この障子の内においでなさるあなた様が、尾張の名古屋の城下では、第一等の美しいお方でいらっしゃるというお噂《うわさ》を伺ったものでございますから、一度お目にかかって置きたいと存じました」
「お黙りなさい!」
 その時、夫人の手にあった薙刀《なぎなた》の刃風《はかぜ》がはやかったか、縁からころげ落ちて、植込へ飛び込んだがんりき[#「がんりき」に傍点]の逃げっぷりがはやかったか、とにかく、一たまりもなく、この色きちがいのやくざ者が敗亡して、消え失せてしまったことは事実です――
 あとでは静かに薙刀の鞘《さや》を拾って納め、再び長押《なげし》へかけ直した夫人の後ろ姿。その落ちついた態
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