る》、寒くはない?」
「いいえ――」
かすかながら返事がある。それは果して病人である上に、幼い人であるらしい。
その時、夫人は、脇息《きょうそく》のように肱《ひじ》を置いていた経机へ、正面に向き直りましたから、今まで蔭になっていた床の間の画像が、ありありと見え出してきました。
床の間には肩衣《かたぎぬ》をした武将の像が一つ、錦襴《きんらん》の表装の中に、颯爽《さっそう》たる英姿を現わしている。
その肩衣も至って古風で、髪も容《かたち》もおのずから、それに準じているのが、威あって猛《たけ》からずという武将の面影《おもかげ》が、さわやかに現わされているうちに、何としてか抑え難い痛々しさが、画像の上に流れていることを如何《いかん》ともし難いように見える。
よく見ると、肩衣の武将の定紋《じょうもん》も同じく桔梗になっている。それは誰しも見覚えのありそうな武将の面影ではある。織田信長にしては面長《おもなが》な、太閤秀吉としては大柄な、浅井長政にしては鬚髯《しゅぜん》がいかめし過ぎる。
そうだ、桔梗の紋が示している通り、それは加藤肥後守清正である。
世の常の立烏帽子《たてえぼし》の大
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