かしたとすれば、それは一枚や二枚の番附ではすむまい。かけがえのない宝を盗まれたり、取返しのつかない負傷をさせたり、お役目向に責任者が続出したり、それやこれやで容易な騒ぎではおさまるまいに、まあ番附の一枚や二枚が、見えたり隠れたりしているうちは、問題とするに足るまい。
 だが、有ったものが無くなったということは気になる。場所柄が長局であるということと、それと、ここでは誰も知った者のあろうはずはないが、昨今、この城下へ姿を現わした、あのイケしゃあしゃあとした、いや味たっぷりの、色男気取りの、向う見ずで、意気地なしの、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百というやくざ者の姿を思い浮べてみると、いい気持はしない。場所も場所、時も時、野郎またやったかなと、知っている者は口惜《くや》しがるに違いない。

 果して、その翌日、枇杷島橋《びわじまばし》を渡って西の方へ向いて、何か瓦版《かわらばん》ようの紙をひろげて、見入りながら歩いて行くがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を見る。
「おっと、危《あぶ》ねえ、気をつけておくんなさいよ」
 問屋町の青物市場から来た青物車を避ける途端に、取落したその紙を、
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