の時から禁止せられたということになっている。
この禁令は元禄十七年(宝永元年)十二月二十八日ということで、その時の廻文に、
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「手紙ヲ以テ申入候、近年婚礼相済ミ候者、水振廻ノ祝儀ヲ為シ、近所ノ者寄リ集マリ、作法|宜《よろ》シカラザル儀|之《こ》レ有ル段相聞エ候、以後右ノ様子ノ族《やから》、之レ有ルニ於テハ、急度《きっと》、御吟味ヲ遂ゲラルベキ旨、仰セ出サレ候、向後、相慎シミ、作法宜シキ様ニ仕《つかまつ》ルベキ旨、御老中仰セ渡サレ候条、其ノ意ヲ得ラルベク候、以上」
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とあるによって見ると、この「水祝い」がかなり無作法なものになって、この慣例をいいことに、ずいぶん人に迷惑を及ぼす弊害が多かったものと見える。
それでも儀式としてはまだ相当に残されていたものと見え、万治三年の正月に、家中水あびせがあった時に、侍たちが光友の世嗣《よつぎ》綱誠に向って、慰みのためにこの水あびせを御覧になるように申し上げたが、世嗣はこれをことわって、
「侍たる者を裸にして、庭上を引きずり廻ることは、更に行儀にあらず、作法が闕《か》ける。水あびせの事重ねて申し出てはな
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