い」を為すことになっていた。そこで寛文十年には「水あび御定《おさだめ》の覚」というものがあって、婚礼の翌一年は申すに及ばず、たとえ三年五年過ぎても、御前に於て水あびを申すべき事。
なお、「もみ[#「もみ」に傍点]」を以て水にかえることもあったと見られるのは、同じ定めのうちに、
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「もみ[#「もみ」に傍点]候事、上下衣服等もみ候ひて、人前出で難きほどの体《てい》成り候はば水むやくたるべくの事、一度もみ[#「もみ」に傍点]候上は水同然に候間、其上はもみ[#「もみ」に傍点]候事無用の事、附、無筋《すぢなき》儀を申立てもみ[#「もみ」に傍点]候儀無用たるべき事」
[#ここで字下げ終わり]
というのは、もみ[#「もみ」に傍点]はすなわち胴上げのことであろうと思われる。
ところが、元禄五年に至って、玉置市正なるものが千石の加増を賜わって、知行《ちぎょう》二千石となるや、その翌年正月、光友から市正に小姓衣を振舞われた。その時、奥勤めの者集まって、市正に「水祝い」をするか、もみ[#「もみ」に傍点]にするかという内評議を聞いて、市正迷惑のことに思い、主人に聞え上げたと見えて、そ
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