分でさえも、人がましく思うものだから、それで物を尋ねてみたり、また求めざるのに、物を尋ねるその理由を説明してみたりしてくれるのだ。この婦人も、この地に足をとどめた旅人であることに於ては自分と同じことだという感じが率直な米友の心に親しみを持たせました。
「はあ、そうですか――鳴海というのは、おいらもよく歌や、発句《ほっく》で覚えているが、ここがその鳴海というところなんですか」
「この辺がいったいに鳴海のうちですけれども、かんじんの海が少しも見えません」
「なるほど、海がねえなあ」
「あなたは、どちらの方からおいでになりました」
「おいらかね、おいらは宮の渡し場から来たんだが……」
「あ、熱田の宮からおいでになりましたのですか。鳴海の本宿から古鳴海と聞きましたが、その途中に海はありませんでしたか」
「さあ――途中」
 米友がまたも眼を円くしました。たしかにその道程を歩んで来たには相違ないが、途中のことをたずねられると印象がゼロだ。
 だが、ゼロだといえばふいになる、いやしくも眼あきであって、足で歩いて来る間に、途中の風物を見なかったということは申しわけにならない、それも一日一路のことか、或
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