かってきたように思います。
赤坂を出て宝蔵寺まで来た時分に、お角は駕籠《かご》の中から、景気のよい旗幟《はたのぼり》を見て、グッと一つの興味がこみ上げて来ました。
ははあ――興行だな、芝居ではない、相撲だな、この景気で見ると、まんざら田舎相撲とも思われない、江戸か上方、いずれ大相撲の一行が、この辺で打っているのだな――
まもなく、櫓太鼓《やぐらだいこ》の勇ましい音。お角の鼓膜にこたえて、感興をそそり、腕がむず痒《がゆ》いような気持がしました。
天性、興行師に出来ているこの女は、見物心理として感興を湧かされるのではありません。いわば剛の者が、戦陣の前に当って武者ぶるいを禁ずることができないように、いやしくも、興行物となってみれば、大きければ大きいように、小さければ小さいように、都会ならば都会のように、田舎ならば田舎のように、技癢《ぎよう》に堪えられないで、その物音を聞くと武者ぶるいをするところの病があるのです。
「おや、大相撲らしいが、どんな面《かお》ぶれだろう」
と、旗幟の文字を読んでみると、その真先に眼に落ちた一つに、
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「大関、舞鶴駒吉――」
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