とすれば、尾張を、徳川家から去勢させたのが宗春《むねはる》だ――宗春以後の尾張は、華奢《きゃしゃ》と、遊蕩《ゆうとう》と、算盤《そろばん》との尾張だ、算盤をはじいて女道楽をする気風の間から、天下の大事は捲き起らない、敵としても怖るるに足りないが、味方として頼むには足りない尾張、やがて風向きのいい方へ、どちらでも傾くよ」
と言った壮士は、おたがいに呼ぶところの名をもってすれば、相良《さがら》と言ったり、小島と言ったりする。
 どうも、その談論風発の勢い、どこぞで見たところのある――ああ、そうそう、たしかにあれは三田の薩摩屋敷にいた。しかも薩摩屋敷の浪士のうちでも牛耳を取っている男に、たしかにこれがいた。
 この一座の語るところは以上の如く、その間、かの女性は神妙に一座を取持っている。相良はこの女性を顧みて、時々、
「梅野さん、梅野さん」
と呼ぶ。
 なまなかの道づれや、かりそめの道案内者として、雇うて来たものではないらしい。
 こう言って尾張をそしるもあれば尾張|贔屓《びいき》もあるらしい。
 尾州|慶勝《よしかつ》が水戸の烈公と好く、多年の尊攘論者《そんじょうろんしゃ》であり、竹腰派の
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