の名古屋とが、話題の中心になるらしい。
 慶長以来の、関ヶ原当時の陣形を細やかに持ち出すものがある。結局、美濃、尾張の平野は、今日でも大勢を制するの中原であって、その中原の後ろを押えるものが、近江と飛騨とだ。石田三成は近江に根拠を置いたが、飛騨を閑却したのはいけない。我々は、飛騨を押えておらねばならぬ。飛騨を押えるのは、難事ではないが、目的は尾張にある。
 小牧《こまき》であり、大垣であり、岐阜であり、清洲《きよす》であり、東海道と伊勢路、その要衝のすべてが、尾張名古屋の城に集中する。
 今し、彼等の間に拡げられた大地図は、尾張の中原平野の地図であって、その上に筋違《すじかい》に打布《うちし》かれたのが、尾張名古屋城の細部にあたる絵図面であります。
 そこで、一座の陰謀の中心は、尾張名古屋の城の研究ということに集まっているらしい。一座の異彩、名古屋から昨晩着いた紅売りの女――も多分、それがために有力な資料を持ち来《きた》した一味の同志の一人と見るよりほかはありますまい。
「名古屋は、怖るるに足りない」
と一人が言いました。
「水戸を、徳川というものに反逆させたのが光圀《みつくに》であり
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