じるしまで至りつくには、予想外の時間を費しているものらしい。
そこでいくら気を練らしても、持って生れた短気の生れつきは、如何《いかん》ともし難いものと見える。
いったい、正直者はたいてい短気です。短気の者がすべて正直といえるかどうかは知らないが、宇治山田の米友に限って、正直であるが故《ゆえ》に短気だという論理は、彼を知れる限りの者が認めるに相違ない。正直者は、この世に於て、距離と歩数とは常に比例するものだと考えている。距離と歩数とが最も人を欺《あざむ》き易《やす》いのは、山岳と平野とがことに烈しいことを知らない。山岳の遭難者が、ホンの目に見えるところで失敗するように、見通しの利《き》く平野の道に、大きな陥没と曲折があることを、熟練な旅行者は知っている。
そこで、この世の苦労に徹骨した大人は教えていう、九十里に半ばすと。
わが宇治山田の米友も、このごろでは、かなり人情の紆余曲折《うよきょくせつ》にも慣れているから、距離と、歩数と、時間との翻弄《ほんろう》にも、かなりの忍耐を以て、ようやくめざすところの森蔭に来た時分には、黄昏《たそがれ》の色が予想よりは一層濃くなっていたことも是非
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