中にいて、球を投げる奴が、妙に気取った恰好をして、肩をグルグル廻したりなんぞしている。球を受け留めると、
「フラフラフラホウ、フラアラアラキャット」
なんぞと口走る。
主膳には、それが何の真似《まね》だか一向にわからないが、子供らは心得顔である。
それから、また一隊は座敷へ上りこんで、それで、いつ誰が懐中して来たか知れない将棋の駒を取り出して「南京双六《ナンキンすごろく》」とやらをはじめる。
その方法の複雑なる、日本の花がるたの、もう少し混み入ったようなものを、年嵩《としかさ》の子供の教導によって、たちまちに覚えこんでしまう。
見ている主膳もわからない。また、こんな新遊戯術がいつ流行して来たか自分も知らなかった。
だが、メリケンと言い、南京と呼ぶからには、ともかく最近外国から渡来して来たもののうつしに相違あるまいとは思われる。
主膳は流行の潜勢というものと、少年の感染力というものを、そこに見せつけられて、思わず身ぶるいをしました。
遊戯を好み、雷同性を助成せしむることが、国民性を最も軽薄に導くことに有力であるという説を聞いたことがある。国を亡ぼそうとすれば、兵力を以てする
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