く、主膳のは、空也上人や、良寛坊が子供と遊ぶことを好むのとも違い、ペスタロッチやルソーが子供の教育にかかるといったような精神でもなく、お松や与八のように、子供そのものと共に学ぶというのでもないことは勿論《もちろん》です。
 あらゆるものと遊び、あらゆる人間を涜《けが》し来《きた》って、倦怠と、自暴《やけ》とのほかには、何物も贏《か》ち得ていない荒《すさ》み切った自分の興味を、今度は、子供たちをおもちゃにすることによって、補おうとする転換に過ぎますまい。
 だから、時を期してここへ集まった子供らに、主膳は露ほども教養の制縛を与えないのです。与えないのみならず、あらゆる野卑と、悪戯《いたずら》と、不行作《ふぎょうさ》と、かけごと勝負と、だまし合いとを奨励して興がるかの如く見ゆる。
 そこで、相撲も、凧上げも禁じない如く、丁半《ちょうはん》、ちょぼ一、みつぼの胴を取ることまでも、主膳は喜んで見物する。なかには、その辺の知識経験で、主膳に舌を捲かせるほどの文才を発見することもある。
 大人も及ばぬ、猥褻《わいせつ》な挙動と言語を弄んで、平気でいるのもある。
 性の知識と裏面、その楽書、その振舞
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