前《めえ》にとっても、忘れられねえ伊勢の国のつい隣りまで来てしまったことを、今はじめて知ってみると変な気になるなあ」
「…………」
米友は何とも答えない。四方窓の方へひときわ身を乗り出した時の顔色を見て道庵が、ああ、こんな生一本な男に、故郷の山を見せるのではなかった、と考えました。
予期しなかっただけに、べらべらと、しゃべってしまったが、さて気がついてみれば、この男――と、そうしてこの生れ故郷の伊勢――というところには、容易ならぬ因縁の有することを、いま気がついた。
第一、この男が、何故に故郷の伊勢の国を出て来たかを考えてみると、何故に故郷を出なければならなくなったかを思いやってみると、そうして故郷を出て、遥々《はるばる》と東海道を下って空《くう》をつくように江戸をめざして進んだ時の、心の中と、その道中の艱難《かんなん》を考えてみると、憂き旅を重ねて、ようやく江戸へ落着いて、それからまた甲州へ行って、また江戸へ戻るまでの間のこの男の出処進退を考えてみると、まあ、そんなこんなの艱難辛苦は持って生れたこの男への試練としても、その点は鍛えられている体質のおかげで、はたで見るより苦になら
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