困るのは、西郷隆盛ばかりではないらしい。
さすが道庵の悪辣《あくらつ》も、この善良なる、平和の里の紳士淑女に向っては、施す術《すべ》がないようです。ただただ悪辣も、奇巧も、無智と親切という偉大なる力に、ぐんぐん包容されてしまって、件《くだん》の木柱は、敬虔《けいけん》なる態度で、お世話人衆の手によって運ばれ、そうして最初からの問題であった竹藪《たけやぶ》の中に持ち込まれると、そこにもう、あらかじめ、ちゃんとその木柱の根が納まるだけの穴が待っておりました。
それへ恭《うやうや》しく木柱が立てられると、そこで祭りの庭のすべての体《てい》が整うてきたと共に、今宵の祭典の意義も充分に明瞭になりました。
すなわち道庵と米友とが、仮りに施主となって、日本第一の英雄、豊臣太閤の誕生地を記念せんがためのお祭でありました。お祭でなければ供養でありましょう。供養でなければ施餓鬼《せがき》かも知れない。
してみればこの地点こそは、日本一の英雄を産んだところに相違ない。そうだとすれば、他所であるべきはずはない、日本国東海道はいつのおわばり[#「いつのおわばり」に傍点]の、尾張の国愛知の郡、中村――の里
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