その書風に感心の色を現わしたものもなく、また、待ってましたとばかり、ひやかし[#「ひやかし」に傍点]を打込むものもありません。
さてはこの先生のことだから、何を書き出して人の度胆を抜くか、いやがらせをやるか、とビクビクしていた者もなく、極めて常識的に出来上ったのが物足らないくらいのものです。
そうしてこんどは側面を返して、それに年月日を書きました。
これもまた極めて無事であります。
それから念入りに裏面を返して、そこにまず「施主」の二字を認めて暫《しばら》く休み、次にやや小形の字画で、
[#ここから1字下げ]
「江戸下谷長者町十八文道庵居士」
[#ここで字下げ終わり]
と書き飛ばしたが、誰も驚きませんでした。
それと押並べて、
[#ここから1字下げ]
「鎌倉右大将宇治山田守護職米友公」
[#ここで字下げ終わり]
と書きましたけれども、一人として度胆を抜かれたものもなければ、ドッと悪落ちも湧いて起りません。
天下に、切っても切れない不死身《ふじみ》、洒落《しゃれ》てもこすってもわからない朴念仁《ぼくねんじん》、くすぐっても笑わない唐変木《とうへんぼく》、これらのやからの始末に
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