にも甲冑ははやらんでな。こんな甲冑は実用にはならんので、長州征伐の時、幕軍が破れて歩兵隊が奇功を奏したのも、一つはこの武装のせいだよ。幕軍は元和慶長以来の、家重代のやつを着飾っておどかそうと試みたものだが、長州方は、軽快な筒袖のだんぶくろみたようなものだ。そこで、関ヶ原では、驍名《ぎょうめい》を轟《とどろ》かした井伊の赤備えなんぞも、奇兵隊のボロ服にかかってさんざんなものさ。今時の甲冑は飾り物に過ぎないが、源平時代はこれが実用さ、これでなければ戦《いくさ》もできないし、人気も鎮まらないさ。しかし、いいもんだな、形と言い、こしらえと言い、華にして実、実にして雅、よろいかぶとは武装の神様だ、位から言っては、いつまでも廃《すた》らないのさ。これをこう着用して、馬に跨《またが》って先登に立つと、三軍の士気がおのずから奮う、その点もダンブクロとは威力が違う、飾り物でもなんでも、この甲冑というやつは尊重しておかなくちゃならん――ところで……」
仏頂寺弥助は羽織を脱ぎ捨てて、床の間の鎧《よろい》をいちいち取外《とりはず》して、品調べにかかってから、一応覚束ない手つきで、
「まず小袴《こばかま》から
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