な心持になりました」
 弁信は天の一方を見つめて、じっと考え込んでいましたが、
「さあ、そうなりますと、わたくしはこれからどこへ行ったものでございましょう、十方に道はありとは申せ、わたくしの行くべきところはどこでございましょう、白骨でいけないとすれば、再び甲州の有野村へ帰りましょうか。わたくしが有野村へ帰りましたとて、もうわたくしの為すべき仕事はござりませぬ、伊太夫殿のためにも、お銀様のためにも、わたくしが帰ったことによって、いささかも加えることはできないようになっております。それではいっそ月見寺へ帰りましょうか、あれは白骨谷が空なるよりもなおさらに空なものになっております。さあ、左の方木曾路へ迷い入って、あれをはるばると行けるだけ行ってみましょうか、やがては花の九重の都に至り上ることはわかっておりますが、天子の都も、今は兵馬倥偬《へいばこうそう》の塵に汚れていると聞きました、その戦塵の中へ、かよわいかたわ者のわたくしが参ってみたとて何になりましょう。それならばはるばると摂津の難波、須磨、明石、備前、備中を越えて長門の下の関――赤間ヶ関、悲しい名でございます。寿永の昔にあの赤間ヶ関の浪の末に万乗の君がおかくれになりました、その赤間ヶ関の名は、ほとんど日本の国の終りのような響がいたします。でございますが、そこまで至り尽したところで、どうなりましょう。海を渡ればまた、四国、九州の新しい天地が開けます、有明の浜、不知火《しらぬい》の海、その名は歌のようにわたくしの魂の糸をかき鳴らしますけれども、現在そのところに至れば、わたくしの魂はずたずたに裂かれて、泣き崩折《くずお》るるよりほかはなかろうと思われます。それから先、海を越えて支那、朝鮮のことは申すもおろかでございます。さてそれならばいっそ安房《あわ》の国へ渡って、再び清澄のお山に登る、そこで心静かに、心耳《しんに》を澄ましてはどうかとおっしゃる、そのお言葉には、道理も、情愛もございます。まして、わたしが、唯一の幼な馴染《なじみ》であるところの、あの清澄の茂太郎も、今はまたその安房の国に帰っていることはたしかでございますから、お前のためには安房の国へ帰るのがいちばんよろしかろう、とおっしゃって下さる……それはまことに有難い仰せではございますが、私が、そもそもあの清澄のお寺を立ち出でました時の心をお察し下さいます方は、それがどうしてもできないことだと御承知くださると考えます。出家の身は一所不住と申しまして、一木の下、一石の上へなりとも二度とは宿らぬ願いでございます、ああして身の不徳を恥じながら清澄のお山を下ったこのわたし、どうしてまたあのお山に帰ることができましょうか。まして、人情というものの煩悩《ぼんのう》から全く脱しきれない貧道無縁の身、あちらへ帰りますと、見るもの、聞くものが、みな人情のほだしとならぬことはなく、この玉の緒の絶えなんとすることほどの切なさが、幾つ思い出の数にのぼりましょう、第二の故郷である安房の国へ帰ることは、第二の煩悩の種子を蒔《ま》きに行くようなものでございます。わたくしは安房へは帰れません、清澄のお山へは戻れません……ではせっかく来たものだから、空であろうともなかろうとも、惹《ひ》きつけられた力が絶えようとも絶えまいとも、最初の目的通り、一旦その白骨谷へ行って見てはどうかとおっしゃるのですか……それもそうでございます、わたくしも今それを考えているのでございます。さいぜんまで、あれほど痛切に呼びかけたお雪ちゃんの声が、いま私のあたまに響かないのは、あの子がもう白骨谷にはいない証拠だと、それでわたくしは一時がっかりしまして、それがために、せっかくこれまで来た踵《きびす》を返そうといたしましたが、しかしなおよく考えてみますると、たとえ、お雪ちゃんという子が現在あそこにいないにしても、最近まであそこにいたことはたしかでございます、ですからあの子の最近の便りを知るには、やはり白骨谷に越したところはございません、ともかくも白骨谷に行きさえすれば、もしあの子がいないとすれば、どちらへ行ったか、それは必ず分るはずでございます、やっぱりわたくしは力なくも白骨谷までまいりましょう。むろん、今の心では白骨へ行って、そうして、わたしが、ほっとそこで一息ついても、やれうれしやなつかしやお雪ちゃん、と呼びかけることはできないにきまっています。それから先、どこまで行って、どこで、誰に逢えるか、ちょっと分らなくなってしまいました。ですけれども、やはり一旦は最初の目的通りに白骨へ行くのが、この際、いちばんの順路かとも考えておるのでございます」
と言って弁信は、力なくも足を運ぼうとしましたが、また急に法然頭《ほうねんあたま》を振り立てて、
「え、わたくしに待てとおっしゃいますか。待てとおっしゃ
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