て法外をやらなかったのだとお角さんは見ていました。
 だから、たしなめるにしても、上手にたしなめさえすれば、成績が上るのである。それを、こちらが、あの通り逆に取って、カサにかかるように出ては、相手の引込みがつかない。
 と、お角さんは、かえって、この町人連の喧嘩の買いっぷりは大人《おとな》げないものと見ていました。
 果して事は次第に悪化して行く。
 そこへ、自分たちの贔屓《ひいき》の旦那が、難儀に逢っているというようなところから、相撲小屋から関取連が、取的《とりてき》をつれて走《は》せつけて来る。
 それを、加勢がまた殖えてきたと見たのか、名古屋の料理屋の親方、河嘉の松五郎は、諸肌《もろはだ》をぬいでしまいました。
「さあ、お斬りなさい」
 が、さあ斬れ、斬りやがれ、斬って赤いものが出たらお目にかかる、という寸法通りの悪態《あくたい》になって、身をこすりつけたから、ますますいけない。
 この時分、悪い若ざむらい連は酒の酔いもさめてしまい、面《かお》が青ざめて、体がわなわなとふるえ、まさしく、振り上げた拳《こぶし》のやり場に困って、ほとんど五体の置き所を失った気色が、ありありと見えてきました。
 さりとて、こうなっては、冗談《じょうだん》だ、冗談だと逃げを打つわけにもゆかず、許せ許せと、折れて出るわけにもなおさらゆかず、どうにもこうにも、抜いて斬るよりほかはないという羽目に陥ったのは、自業自得とは言いながら、よその見る目も笑止千万で、お角さんとしては、むしろ、この若ざむらい連に同情して、助け舟を出してやりたい気象が、むらむらしましたけれども、旅では万事、控え目にすること……と、立つ気をおさえていました。
 悪い若ざむらい連の立場は、どうにもこうにも、抜いて斬らなければならないことになって、しかも抜いて斬った結果は、いよいよ悪くなるということに自分が気がついて、自分がおびやかされています。
 この町人の鼻っぱしの予想外に強いのに、後ろについている奴も遊び人上り、それを芸妓共が煽《あお》っている。そのほか、いざ、乱闘となった日には、すべての弥次馬の同情が、決してこっちには向いて来ない、次第によっては自分たちが袋叩きの憂目《うきめ》にあって、生死のほどもあぶない、ああ、やり過ぎたわい――と、見るも無惨な窘窮《きんきゅう》の色が、売りかけた方に現われたのを見て取った買方が、いよいよ強気になり、
「さんぴん、これでも斬れねえか」
 いきなり、平手で、さむらいの頬を打ちにかかったものだから、もう破裂、二人がさっと抜いてしまいました。
「抜きやがったな、しゃら臭《くせ》え」
 松五郎が石を拾って目潰《めつぶ》しをくれる、それを合図に、身内の若いのが、同じように目つぶしの雨を降らせる。
 芸妓連は、悲鳴を上げて逃げるのもあれば、遠くから石を投げて助太刀《すけだち》のつもりでいるのもある。弥次の石が、飛びはじめる。
 それから後の乱闘と、二人のさむらいの立場は見るも無惨なものです。
 抜きは抜いたが、もう、すっかり度胆を抜かれているところだから、日頃学んだ剣術も、さっぱり役には立たない。松五郎の身内に追い詰められて、弥次に逃げ場をふさがれ、やがて抜刀を奪い取られて、しばらく組んずほぐれつ、河原でこね合ってみたが、やがて、思う存分の手ごめに遭って、袋叩き、石こづき、髪も、面《かお》も、めちゃめちゃにかきむしられて、着物も、袴も、さんざんに引裂かれ――その後に、帯刀は大小ともに鞘《さや》ぐるみ奪い取られてしまって、ついに半死半生の体を、河原へかつぎ込んで、河の中へ投げ込まれてしまったのは、全く見ていられない。暫く、浅い川の中に、浮きつ沈みつしていた件《くだん》の若ざむらい二人は、それでも命からがら起き上り、向うの岸へのたりついて、這《は》い上り、水びたしになり、打擲《ちょうちゃく》に痛むからだで、びっこを引き引き向うの道へ、のたりついて行く、その姿が消えるまで、衆人環視の間にさらされたのは、自業自得とはいえ、悲惨の極みといわねばなりません。
 それを、ザマあ見やがれ! という表情で見送っていた料理屋連――その親方は、二人の悪ざむらいから奪い取った大小をからげて、
「こいつは、会所へ届けておかにゃならねえ」
 荷かつぎに持たせているところへ、贔屓《ひいき》の相撲連がやって来て、そうして彼等一同は、やはり勝ちほこった気持に充ち満ちて、相撲小屋の方へ引上げてしまいました。
 一切の事情を、目《ま》のあたり見ていたお角さん――いよいよいけないと思いました。筋から言えば、道理はこちらにあるに相違ないが、お角の眼では、料理屋連の出ようが、やり過ぎていること――これがこれだけで済めばいいようなものの――済むはずがない。それを存外、買方は気にかけていないようだが、
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