示して見せると、早速事が納まる、のみならず、それが機縁で、絵の商売上、思わぬ収入にありつくこともある。
今の田山白雲は、決して名を惜しむほどの名でなく、腕を惜しむほどの腕でないことを、充分に自覚し抜いているから、どちらにしても惜気がない。
名乗れと言われない先に名乗り、腕を要求せらるれば、一山三文の、当時の価をそのままで提示することを辞さない。
今も、その例によって、問われざるに名乗ってしまってから、懐中から画帖を取り出したものです。
「君方は地面を数量で刻んでいくのですが、拙者は直観でうつしていく商売です。どうです、あなた方はそうしてコツコツと地面を数量で刻んで行きながら、地面そのものの魅力に感激せしめられるようなことはございませんか」
四十四
写生帖を持って白雲がこう問いかけると、二人の測量師は面食って、
「何、何でござるてな……」
彼等は狼狽《ろうばい》したが、やがて白雲が正銘の画家であることに合点《がてん》がゆくと、極めて打解けて湯茶などをもてなし、煙草もすすめ、それから絵の事と、風景の事とで、心置きなく会話が取交されました。
「この間、江戸へ行った時、広小路の露店《ほしみせ》で狩野家を一枚買いました」
「そうですか」
「尚信とありますが、本物ですかどうですか」
「ははあ」
「その道の人に見てもらったら、わかりましょうが、あんまり安いものですからね。反古《ほご》同様の値段で買って来て、表装を直させましたら、見る人が賞めますよ。ですが、本当に見る人に見せたら何と言いますか。とにかく、絵を集めるのは楽しみなものですな」
露店《ほしみせ》で買った狩野家を珍重がるこの人もまた、絵を愛する人であると思えば可愛らしいところがある。白雲の抛《ほう》り出した画帖を取り上げて、拝見ともなんとも言わずに適度にひろげて、二人が額を合わせてながめ出し、
「ははあ、よく描いてありますなあ、潮来《いたこ》ですな、ここは、十二の橋――舟、よく描いてありますな」
「なるほど、よくうつしてありますなあ」
「いや、お恥かしいものですよ」
と白雲も、自分の絵が存外、その人たちのお気に召したことに、多少の光栄を感じて謙遜する。
「どうして、どうして、立派なものです。失礼ながら、このくらいに描ける絵かきは、田舎なんぞにそうたんとは転がっておりませんよ」
「恐縮です」
「一枚描いて下さらんか」
「御希望なら、描いて上げてもいいです」
「なんでしたら、わしの屋敷へおいで下さらんか」
「おたずねしてもよいが、どちらですか」
「相馬です」
「相馬――相馬中村ですか」
「そうです、これから、北へと測量して行って相馬へ行くのですが、相馬で仕事が終るわけではありません、屋敷は相馬にあるけれど、相馬を通り越して、もっと遠くまで行くのですよ」
「ははあ、家門を過ぐるとも入らず、というわけですね」
「いいえ、家門を過ぎれば立寄って、妻子をよろこばせます。どうでござるか、先生、相馬はさまで遠くないところですから、我々と同行して下さるまいか」
「ははあ、それは至極、都合のよい話のようですが、遠くないといっても相馬ですから、どのくらいの里数と時間とを要しますか」
「左様――おおよそ五十五里――まず六十里足らずと思えばようござる、日に十里ずつの旅をしてかれこれ五日」
測量師の言うことだから間違いはあるまい。それを聞くと、白雲も少し考えて、
「この海岸を、北へ北へと行くんですな。途中見るところがありますか、いい景色がありますか、名物といったようなものが……」
「左様――海岸の景色といっても大抵きまったようなものでござるが、大洗、助川、平潟《ひらかた》、勿来《なこそ》などは相当聞えたものでござんしょう」
「ははあ、勿来の関……なんとなく意をそそられます」
「お気が向いたら、ぜひ、お出かけ下さい、拙者宅に幾日でも御逗留《ごとうりゅう》くだされて、幾枚でもお描き下さい」
相当の絵師と見定めてから、先生号で呼びかけ、その先生を自宅へ招じて、何枚でも描かせようとまで働いて来たのは、隅に置けないところがあるとおかしがり、
「海岸の風景のほかに何か、名物、或いは、画の題になるものがありますか」
「左様でござるな、この海岸で名物といっては、大洗に磯節というのがござり、海では、さんま、鰹《かつお》、鯖《さば》といったものが取れ、山には金銀を含むのがあり、土では、こんにゃくも取れ申す」
実際家だけに、相当具体的に答えてはくれるが、さんまや、鯖や、こんにゃくでは、画題として、あんまり感心しないと、白雲が考えていると、測量師は附け加えて、
「相馬へ行くと、馬がたくさんいる、生きた馬が放し飼いにしてござるが、あれは絵になりませんかな」
「なりますとも」
ここに至って、白雲は
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