を最寄りとしては、常陸、磐城の海岸筋の鉱脈に当りをつけるのが順当だと思っていたのです。
しかし、これは罷《まか》りまちがえば、外国艦から融通を受ける道もある。僅か一艘の手製の船に使用するために、わざわざ一つの炭鉱をさぐり、それを採掘してかかるまでのことはあるまいとは思っているが、さりとて事ここに至ると、駒井の研究心は、外国物資の融通だけでは甘んじきれなくて、後人のために、この際、附近の炭山について、若干の研究を残しておきたいという好学心も手伝ったものでしょう。
そこで一つ都合のよいことには、このマドロス君が前生涯に一度、炭坑の坑夫として働いていたことがある。メリケンのペンシルヴァニアというところで、ほんの僅かの間ではあったけれども、炭山の経験があるということを耳にしたから、この男を引きつれて明日にも、常磐の山に鉱脈をさぐろうと心がけていた際であります。
困った奴だ――人間はごくいいのだが、ちょっと眼をはなすと、とめどもないだらし[#「だらし」に傍点]なさを曝《さら》す男、危険性はないが、それでも眼のはなせない男。
こういう際には、田山白雲のことを駒井がかなり痛切に思い出す。白雲が存在すれば、マドロスは一たまりもない。白雲によって悪い方は慴伏《しょうふく》される。悪い方が慴伏されると勢い、いい部分だけの能力を現わすから、マドロスを抑えるには白雲に限る。ところがそのマドロスをおさえの役は只今、銚子から利根、香取、鹿島に遊ぶといって出て行ったきり、まだ帰って来ない。当人、日を限ってはいたが、いつ帰って来るか、ちょっと当てにならないものがある。
今夜のような醜態を、かりに白雲に見られたとすれば、マドロスは有無《うむ》をいわさず、叩き起されて、二つや三つのびんた[#「びんた」に傍点]を食《くら》うことはわかっている。
その荒療治は、駒井の得意とするところではない。
「さて、どうしてやろうかな」
この際駒井が、ふいと、心頭を突かれたのは、いつぞや、あの大嵐の前後、難破船から投げ出されたお角という女を、平沙《ひらさ》の浦から拾い上げた時、前後して、自分の手許《てもと》から消え失せて、全く行方不明な船大工の清吉のことです。
清吉は朴訥《ぼくとつ》な男、造船工事では自分の右の腕としていた男だが、あの際に、行方を見失ってしまった。死んだものなら、死んだと見きわめをつけるべき一品の証拠でも出て来たのなら、まだあきらめもあるが、それすら全く無い。今以て、寝ざめの悪いことである。万々一、マドロスが、あの轍《てつ》を踏んで、あの時とは場合も違うし、清吉と、マドロスとは、性格に於ても比較にならないが、それでも、万々一……清吉のことを考え出してみると、駒井も、マドロスのために不安がこみ上げて来ました。マドロスそのものを、ああして不親切にしておくことは、清吉のために済まないような気もする。
今となっても一向、マドロスの帰って来た模様はない。まだあのままで酔倒の夢がさめないのだろう。そこで駒井は、狼に食われはしないかと言った茂公の言葉までが気にならないではない。
「よし、それでは、もう一度見届けて来てやろう」
多少の責任感のようなものに迫られて、駒井は寝室に入ってねまきを着ることの代りに、刀架に置いた刀をとって差し、陣笠をかぶり、鞭をとって、音のしないように、この家の外の闇に出てしまいました。
たった一人で、提灯《ちょうちん》もつけずに、この闇の中を駒井は、静かに先刻のマドロスの酔倒していた路傍のあたりまで進んで行って見ました。
三十九
駒井甚三郎は、マドロスが酔倒していた現場まで来て見たけれども、もはや、そのところにマドロスの形がありません。
そのあたりを、暗い中で、相当にあたりをつけて見たけれど、単にいたところの人が見えなくなったというだけで、そのほかにはなんら異常の気配は見えないようです。
つまり行違いになったのだ、先生、ようやく目がさめて、あわてふためいて立戻り、いまごろは、寝床へもぐり込んで、前後不覚の夢を繰り返しているのだろうと、駒井はタカをくくって、そうして、それから海岸の方へと歩みを進めました。
その時も、天文の興味が頭を去らないものですから、思わず頭を天空にもたげて、そうしてさいぜん観察した星の進行を注意しつつ海岸を歩いて、家路の方へ静かに踵《きびす》をめぐらした時です。
急にあわただしい空気があって、バタバタと人の足音があって、やがて夜目にもしるき着物の色がこちらへ向って見えて来ましたから、駒井が驚いて足をとどめていると、まもなくせいせいと息をきる音。それらの雰囲気で、よくわかっている、これは珍しくもない兵部の娘、もゆる子であるということを、駒井が直ちに感づきました。
そこで、またはじま
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