その理窟を知る前に
皆さんは
三角形の内角の和は
常に百八十度であるということと
多角形の外角の和は
常に三百六十度であるということを
知っておかなければなりません
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
三百六十
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 そこで茂太郎は足ぶみをして、踊りをはじめてしまいました。
「もう、わかっているよ」
 駒井は、望遠鏡をのぞきながら言う。茂太郎は調子をかえて、
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一度を
六十に分ければ
分《ふん》となる
一分を
また六十に分けて
それを秒という
だから三百六十度を
分でいえば二万一千六百分
秒でいえば百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
百二十九万六千秒
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 茂太郎は、片手を高く差し上げて、天文台の板敷の上を、踏み鳴らして踊り出しました。
 争われないものです。
 駒井甚三郎の傍に置くと、この子は、鼻が十六だの、眼が一つだのという即興をうたわない。
 それは散文ではあるけれども、立派に数理の筋が通っています。弁信が干渉するように、道義を吹込んではいないけれど、数理を外《はず》れるということはありません。
 しかし、どちらにしても、茂太郎の歌う心と、調べとは、反芻《はんすう》の出鱈目《でたらめ》に過ぎません。多分、その詞句をかく歌えと教えられるからその詞句を、しかくうたうだけに止まったものです。
 ああして弁信は茂太郎の歌に干渉し、こうして駒井は茂太郎に数理を教える。茂太郎自身としては方円の器《うつわ》に従いながら、詩興そのものは相変らず独特で、調律と躍動そのものは、例によっての出鱈目です。誰もそこまで干渉して、新たに作曲を試みて彼に与えようとする人は、まだ見出されていないのであります。
 その時分、駒井は天体のある部分――たとえば大熊座と小熊座の間のあたりに、何か異状を認めたらしく――望遠鏡に吸いつけられて、茂太郎の歌も聞えない。まして、その音律や行動に干渉を試むる余地もなく、全く閑却していると――いつもならば、その歌を聞いて、よく覚えたと賞《ほ》めたり、間違ったところを訂正したり、なお新知識を授けたりするところを、今は全く閑却しているものですから――茂太郎の歌が、そこでひとたび途絶えました。
 やがて、暫くあって、一段高いところで、一段のソプラノが起るのを聞きました。
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西は丹波カラサキ口
東は伊賀越えカラサキ口
和田の岬の左手《ゆんで》より
追々つづく数多《あまた》の兵船《ひょうせん》
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 眼鏡に吸いつけられていた駒井甚三郎が、この声で、驚かされて見上げるところ、台の上からなお高く立てられた番所の旗竿のてっぺんまで、この子は上りつめて、そこで般若の面は頭上にのせたまま、片手で、しっかり旗竿につかまり、片手は播磨屋《はりまや》をきめこんで小手をかざして海のあたりをながめているのは、多分、江戸へ見世物にやられた時分、どこかの楽屋で、見よう見まねをしたものの名残《なご》りかと思われる。それを仰いだ駒井は、
「あぶない、降りておいで……」
「はい」
 返事はしたが、茂太郎は急には降りて来ようとしない。急に降りて来ないのみならず、なおこの旗竿に上があるならば、上りつめたい気持らしくも見える。百尺の竿頭を進めるという言葉は知るまい。知っているとも、その意味はわかるまいが、この子供は、いつも尖端《せんたん》を歩きたがる子供である。いや、自分は尖端を歩きたくはないが、ある力があって、どうぞして、この少年に尖端を行かせようと、押し上げているもののようにも見える。さればこそ、山に入って悪獣と戯れ、沢に下って毒蛇と親しむことを得意とするこの少年が、両国橋畔の、人間という群集動物の最も多く集合する圏内に曝《さら》されたりなんぞする。
 それはそれとして、行き行きて止まるところまで行かねばやめられないこの少年は、狭い房総の半島にいて、どちらに行っても海で極まってグルグル廻り、廻りそこねてついに海の領分にまでいったん陥没するところまで行っている。山に於ては、もう房総第一の高山を極めつくしている。旗竿でもなければ、もうこの天地にいて尖端を極めるところはなかろうと思われる――降りろといっても、急に降りられない立場にいることも無理はありますまい。
「ね、おとなしく降りておいで」
「はい」
 降りるよりほかに道はないと見きわめた時、スルリと降り立ってしまいました。
 下に降り立つと共に茂太郎は、
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シイドネックス
ナンバンダー

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