第一、あの気取り方をごらんなさい。
 突袖をして、反身《そりみ》になって、あの四方窓から中原の形勢を見渡したキザな恰好《かっこう》をごらんなさい。天下の英雄、使君、われといったような得意ぶりを御覧なさい。
「これはいい、全く中原の形勢を成している、英雄起るところ山河よし、とはこの事だ。第一、せせっこましいところが無《ね》え、中原が開けて、海が近く、山が遠い。信長の野郎も、秀吉の野郎も、こんなところで生れたから、人間がこせこせしていねえ。濃尾の平野が遠く開けて、木曾川がこんこんとして流れ、山はあれども無きが如し、出っぱったところが岬で、引っ込んだところが港だ」
と大きな声で言いました。
 濃尾の平野遠く開けてはいいが、木曾川がこんこんとして流れという、その、こんこんという字は、どれを嵌《は》めたら適当か。山はあれども無きが如し――という一句に至っては道庵式の形容で、ちょっと凡慮に能《あた》わない。
「どうだ、友様」
と言って後ろを顧りみたところに、影の形に於けるが如く宇治山田の米友が控えていたのだ。
 天下の英雄は、道庵ひとりではなかった。
「うむ、すてき[#「すてき」に傍点]だな」
「全く、すてきだろう」
 米友も同じように、眼を円くして、その雄大なる中原の形勢と、道庵のいわゆる、有れども無きが如くなる遠山をながめている。
「この通り、英雄起るところ山河よしといってな、こういうところから英雄というやつが出るのだから、よく見ておきな。それ、このあいだ、見た信州の松本の深志の城というのがあるだろう、あれからながめたところの風景と、これとは同じ城でも大きに趣が違うだろう。あの城に上って見ると、周囲は皆ことごとく高山峻峰だ、山ばかり屏風《びょうぶ》のように立てこんでいたろう。それがここへ来ると、どうだ、気象とみに開けて気宇闊大《きうかつだい》なりだろう、規模が違うだろう。つまり、武田信玄と、豊臣秀吉の相違さ。なにも山国から英雄が起らねえときまったわけのものではねえが、山国には山国らしい英雄が起り、平野には平野らしい英雄が起るのだ。実際、この尾張というところは、信長を産み、秀吉を産み、頼朝を育て、その他、加藤の清《せい》ちゃんも、前田の利公《としこう》も、福島の正《まさ》あにい[#「あにい」に傍点]も、みんなこの尾張が出したんだ。そういうふうに昔は英雄豪傑の一手販売みたようなもんだったが……」
 ここまではいいが、この辺からまた脱線、
「ところが、どうだ、現在はどうだ、その昔に対して恥じねえだけの英雄豪傑がドコにいる、いたらお目にかかりてえもんだ。名古屋味噌と、宮重大根ばかり幅を利《き》かしたって情けねえものさ。いったい、尾張の奴あ、自分の国から英雄豪傑を出しながら、その英雄豪傑を粗末にする癖がある、悪い癖だ。だから信長は安土《あづち》へ取られ、秀吉は大阪へ取られ、清正は熊本へ取られちまったんだ。それのみならずだ、近代になって、細井平洲という感心な実学者が出たんだ、ところがその細井平洲も米沢へ取られて、誰でも米沢の平洲先生なんていって、尾張の人だと気のつく奴もねえほどのものだ。そういう自分の国から出た英雄豪傑を、有難がらねえような了見ではいけねえから、それで道庵が示しのために、わざわざ自腹をきって、ああやって太閤祭りをやって見せたのさ」
「なるほど」
「この間、お前と供養のお祭りをした太閤秀吉の生れ故郷は、ここから見てドコに当るか、お前わかるか」
「おいらにゃあ、さっぱり見当がつかねえよ」
「そうら見ろ、あの田の向うに当って、こんもりと森になったところがそれだ」
「なるほど」
「ところで、友様、東西南北がわかるか」
「わからねえ」
「そうら、こっちが西だ、遥か向うの平野に雲煙縹渺《うんえんひょうびょう》たるところ、山がかすんで見えるだろう、あれが伊勢の鈴鹿山だ」
「えッ、伊勢の鈴鹿山かい」
 米友が眼を円くすると、道庵が乗り気になり、
「そうだ、あれから南に廻ると関の地蔵に、四日市、伊勢の海を抱いて、松坂から山田、伊勢は津で持つ、津は伊勢……」
「うーん」
 その時|唸《うな》り出した米友の顔色を見て、道庵が少しあわてました。
「あれが伊勢の国……違えねえな」
 米友の円い眼が爛々《らんらん》と光り出します。この男はついその生れ故郷の隣国まで来てしまったことを今はじめて教えられた。そうして、その故郷の山河を、目の前につきつけて見せられていることを、言われなければ気がつかなかったのです。
 伊勢と言われて、火のついたようになった米友を見ると、道庵も、はたと思い当ったことがあります。
「友様、おたがいに、つい知らず識《し》らずここまで来てしまったが、ここへ来ると、伊勢が眼と鼻だから、変な気になるのも無理は無《ね》え、おれにとっても、お
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