も相当に心がけのある奴がいるんですから、変に思召すかも知れませんが、慣れるとみんな無作法者ばかりです」
「それも頼もしいことです。実はただいま、神楽師とおっしゃるから、こいつ怪しいと思いましたよ。普通神楽師といえば、われわれの頭にまずうつってくるのは、二十五座とか、十二神楽とか、馬鹿囃子《ばかばやし》とかいったようなものですが、あなた方は、そんな種類の人とは思われないから、世を忍ぶ謀叛気《むほんぎ》の方々かと、一時は疑いの心を起しました」
「いや、決してそういう物騒なものではありません。一口に神楽といえば、馬鹿囃子みたようなものにとられ易《やす》いですけれど、文字そのものを吟味してごらんなさい、神を楽しむ、或いは神を楽しませ申すという立派な字面《じづら》です、従って、神楽師といえば、神前に奉仕する敬虔《けいけん》な職務ということにならねばならないのですが、どうもそう響かなくなっているのは習慣ですね。たとえば、道楽者といったようなもので、道楽という字面からいえば、道を楽しむのですから、孔孟や老荘の亜流でなければならないのに、普通、道楽者といってしまえば、箸にも、棒にも、かからないやくざ者
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