は、どうしても今まで、掴《つか》むものが掴めない心持でおりました、それを今晩という今晩は……身にしみじみと思い当ることがございました」
「おどかしちゃいけないぜ、弁信さん」
 ピグミーが、突然に頓狂な声でこう言いましたから弁信が、ハッとして、両手で自分の胸をおさえました。
「な、なにを言うのです」
 弁信としては珍しく、唇をわななかせながらピグミーの言葉を聞きとがめると、ピグミーがせせら笑って、
「ホンとにおどかしちゃいけないよ、弁信さん、お前の身体が二つに割れてらあ」
「え」
「そらそら、肩から胸へかけて、すっと糸を引いたように二つに割れて、そこから絹糸のような血が流れていらあ」
「有難う、私も、そんなことだろうと思いました、拭きましょう」
 いったん、驚かされた弁信が、静かに懐中へ手を入れて、真赤に染った白布を引き出しながら、
「どうも折々、こういうことがあって困ります、いいえ、別段に痛むのなんのというのではございませんが……それはそうとしまして、今のその鈴慕《れいぼ》の曲ですな、出過者《ですぎもの》の私は、鈴慕の曲を聞かせていただくごとに、堪能の方々にこれをお尋ねを致してみたので
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