ございます、いったい鈴慕の曲は、どなたの御作曲で、どういう趣を御表現になったのでございますか、そのお方は、その時代は――と生意気千万にも、繰返し繰返しておたずねを致してみましたが、不幸にして、どなたも私のために、明快な御返事を与えて下さる方がございませんでした。ただ伝来の本曲がこうと教えられているから、この手を吹いているのみだ――とこう御返事になるのが常でございました。そのうち、もう少し進んだのが、あれは尺八中興の祖黒沢琴古が、わざわざ長崎の松寿軒まで行って、ようやく伝えられて来た本手の秘曲である、琴古は、虚空《こくう》と、鈴慕の秘曲を習わんと苦心しましたが、当時の先達《せんだつ》が、誰も秘して伝えてくれないものですから、遥々《はるばる》と長崎までたずねて行って、ようやくあの『草《そう》』の手を覚えて来て、伝えているのが今の琴古流の鈴慕だ、と教えて下さる方がありました。そこで私は例の出過者の癖と致しまして、では琴古さんが伝えたといわれるそれが『草』の鈴慕ならば、当然『行《ぎょう》』と『真《しん》』とが無ければならないはずでございますが、その行と真との鈴慕は、どなたが伝えておいでになりま
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