であります。
 ある夜、忽然《こつぜん》として立って人にいって曰く《いわ》く、ああ、今夜は自分の吹く簫の声が尋常でない、おそらくはこの都下に大変が起ろうも知れぬ、と馳《は》せて愛宕山《あたごやま》に上って僧院に泊ったところが、その夜、洛中洛外に大震があって、圧死するもの無数、それは慶長年間のことであったという話。
 間斎という伯楽《はくらく》は、年四十になって明を失したが、人の馬に乗って戸外を過ぐるものを聞いて、その蹄《ひづめ》の音で馬の駑《ど》と駿《しゅん》と、大と小と、形と容と、毛の色とを判断して、少しも誤らなかったということであります。
 深草の検校《けんぎょう》というのは、享保年間、京都に住んで三絃をよくした盲人であったが、老後におよんで人にいって曰《いわ》く、「私の聞き得たところでは、天地の間には三百六十音がある」
 今、弁信というおしゃべり坊主は、その異形《いぎょう》なる法然頭《ほうねんあたま》の中で何の世界のことを考え、その見えざる眼で、どれだけの色彩を味わい、これのみは異常に発達した聴管のうちに、どれだけの音声を聞きわけるの官能を与えられているか知れませんが、この万籟《
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