見えるものの、余人であってみれば、聞き取るべき一言もなく、澄まし込むべき四方《あたり》の混濁《こんだく》というものの全然ない世界ですから、もし弁信の耳が、この間から何物をか聞き得たとすれば、それは彼の耳の中からおのずから起ってくる雑音を、彼自身が、自己妄想的に聞き操っているに過ぎないので、この点は、かの清澄の茂太郎が、反芻的《はんすうてき》に即興の歌をうたうのと同じことなのであります。
 といっても、これを一概に妄想扱いにするのは心無き業《わざ》です。
 チチアンの眼より見れば、あらゆる普通の人間は、みな色盲に過ぎないそうであります。もし地上に特別の人があって、普通の人の見えない色を見ることができるならば、特別の人があって、特別の音を聞き出さないという限りはありません。
 すでに特別の色を見、特別の音を聞き得る人がありとすれば、この普通の人の見得る世界において、普通以上の、或いは以外の世界を――つまり天国といい、地獄というような世界を見ている人がないとは言えないはずです。
 城松という盲人は、鳴滝《なるたき》の下で簫《しょう》を吹くと、人ただ簫声あるを聞いて、瀑声あるを聞かなかったそう
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