さがあろうというものである。
 その時、外の戸を、ホトホトとたたいたものがあります。
「たのみます、おたのみ申します」
 これが盛りの時であったなら、戸をたたいたり、案内を乞《こ》うたりするまでのことはないはずなのが、空屋《あきや》同然の今の場合では、それでも容易に応ずる者が無いものですから、
「たのむ――」
と声も高くなり、たたく音も強くなりましたから、北原賢次が聞咎《ききとが》めて、
「誰だい」
といって、立とうとはしません。多分、山へ行った猟師が戻ったものだろう、とは思ったが、猟師ならば、頼むも、頼まないもあったものではない、大戸をあけて、ここへ入り込んで、両足を炉縁《ろぶち》に踏込みながら、獲物《えもの》の自慢話をはじめるのが例になっている。
「どなたもおられぬか――案内をたのみますぞや」
「はてな」
 全く、この冬籠《ふゆごも》りの一座には、聞きなれぬところの声であるから、北原賢次が、ようやく身を起しかけました。
「おかしいな、全くふり[#「ふり」に傍点]のお客らしいが……出てみよう」
 ともかくも、一番先にそれを耳にした人に、出て応対をしてみる責めがあると観念して、北原は立
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