かに上りにかかると、花をいくつも摘んで胸にかかえたお雪が、行手の山を指さして、
「白馬の頂《いただき》が見えました」
「なるほど」
 その山嶺を仰ぎ見ますと、真白な雪が、身ぶるいしているのを認めました。
「裏の国では、あれを大蓮華山《だいれんげさん》と申します、こちらではシロウマと申します、それを、今では誰が言いならわしたか、ハクバヶ岳《たけ》が通り名になってしまいました」
 お花畑を出でると、雪の渓間《たにま》がある、林泉がある、見慣れない獣《けもの》が、きょとんとして、こちらを向いている。
「あれが羚羊《かもしか》です、あの獣は赤いものが好きで、赤いものさえ見せれば半日でも見ています」
 お雪は帯の間から、これも目のさめるほどな紅絹《もみ》の布片《ぬのきれ》を取り出して、その獣に向って振ると、眼をクルクルして、いつまでもそれを見ている。
「ああして、これを恐れないのは、人を信じているからでしょう、あぶないものですね」
 少し進んで行くと、偃松《はいまつ》の間から、のそのそと一羽の鳥が出て来る。
「ごらんなさい、雷鳥が出て来ましたよ、あの鳥もまた人を怖れません」
 やがて頂上に近くな
前へ 次へ
全157ページ中140ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング