たが、よく落ちついて、見れば見るほどその人ですから、今は間違いないと思いきって言葉をかけて名乗りをしようとしましたが、何かおさえる力があって、それを躊躇《ちゅうちょ》させたのが不思議です。
いけない、いけない、先方が気がつかないのだから、こっちから名乗りかける必要も、義務もないではないか、という声が、お雪の耳もとでささやいて、何かしら、手をかけて後ろへ引戻そうとする本能があります。
お雪はそこで引戻されました。ゆかたの上へ丹前を羽織って、せっかく、飛び込もうとした湯槽《ゆぶね》に心を残して、音のしないように、気取られないように、この場を立ち出でてしまいました。
全く、その気配が消えた時に、兵馬が変な人があればあるものだ、共同の風呂だから、誰に遠慮もあるまいに、自分がここにいることを認めた上で、こっそりと立去ってしまった者がある、自分がそれほど怖ろしげに見える相手か知ら、自分の方でこそ気の置ける人もあろうに、先客が新来の人に遠慮をする由《よし》もなかろうに。
さりとは、妙にハニかんだ人だと、兵馬が笑止《しょうし》に思いました。
しかし、笑止に思ったのも束《つか》の間《ま》、ああ
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