は、どうしても今まで、掴《つか》むものが掴めない心持でおりました、それを今晩という今晩は……身にしみじみと思い当ることがございました」
「おどかしちゃいけないぜ、弁信さん」
 ピグミーが、突然に頓狂な声でこう言いましたから弁信が、ハッとして、両手で自分の胸をおさえました。
「な、なにを言うのです」
 弁信としては珍しく、唇をわななかせながらピグミーの言葉を聞きとがめると、ピグミーがせせら笑って、
「ホンとにおどかしちゃいけないよ、弁信さん、お前の身体が二つに割れてらあ」
「え」
「そらそら、肩から胸へかけて、すっと糸を引いたように二つに割れて、そこから絹糸のような血が流れていらあ」
「有難う、私も、そんなことだろうと思いました、拭きましょう」
 いったん、驚かされた弁信が、静かに懐中へ手を入れて、真赤に染った白布を引き出しながら、
「どうも折々、こういうことがあって困ります、いいえ、別段に痛むのなんのというのではございませんが……それはそうとしまして、今のその鈴慕《れいぼ》の曲ですな、出過者《ですぎもの》の私は、鈴慕の曲を聞かせていただくごとに、堪能の方々にこれをお尋ねを致してみたのでございます、いったい鈴慕の曲は、どなたの御作曲で、どういう趣を御表現になったのでございますか、そのお方は、その時代は――と生意気千万にも、繰返し繰返しておたずねを致してみましたが、不幸にして、どなたも私のために、明快な御返事を与えて下さる方がございませんでした。ただ伝来の本曲がこうと教えられているから、この手を吹いているのみだ――とこう御返事になるのが常でございました。そのうち、もう少し進んだのが、あれは尺八中興の祖黒沢琴古が、わざわざ長崎の松寿軒まで行って、ようやく伝えられて来た本手の秘曲である、琴古は、虚空《こくう》と、鈴慕の秘曲を習わんと苦心しましたが、当時の先達《せんだつ》が、誰も秘して伝えてくれないものですから、遥々《はるばる》と長崎までたずねて行って、ようやくあの『草《そう》』の手を覚えて来て、伝えているのが今の琴古流の鈴慕だ、と教えて下さる方がありました。そこで私は例の出過者の癖と致しまして、では琴古さんが伝えたといわれるそれが『草』の鈴慕ならば、当然『行《ぎょう》』と『真《しん》』とが無ければならないはずでございますが、その行と真との鈴慕は、どなたが伝えておいでになりますか、それを秘して黒沢琴古に伝えなかったという先達は、誰からそれを許されたものでございますか、その次第相承のほどを承って、根元にさかのぼりたいとこう考えたものでございますから、随分しつこく、その都度都度に、人様にたずねてみましたけれど、ついにわかりません。これまで吹く人も知らないで吹き、聞く人も知らないで聞き、そうして、そこに疑いを起す人すらもなかったということに、かえって、私が驚かされたような有様でございました。尤《もっと》も私に、臨済《りんざい》と、普化《ふけ》との、消息を教えて下すって、臨済録の『勘弁』というところにある『ただ空中に鈴《れい》の響、隠々《いんいん》として去るを聞く』あれが鈴慕の極意《ごくい》だよ、と教えて下すった方はありました。その時、出過者の私は、その方に向って、ではあの尺八の鈴慕は、普化禅師の脱化の鈴の音そのままを取った響なのでございますか、或いは、臨済大師がお聞きになった鈴の音をうつしたのでございますか、とこう申しますと、その方が、イヤそうではない、そのいずれでもない、普化禅師に法を受けた張伯というものがあって、これが洞簫《とうしょう》――今でいう尺八を好くし、普化禅師の用いた鈴の代りにその洞簫を用うることにした、それが鈴慕の起りである――と斯様《かよう》に教えて下さいました時、またしても出過者の私が、それではあの鈴慕は張伯の鈴慕でございますか、と尋ねました。つまり私の心持では、鈴慕は臨済大師の鈴慕か、普化禅師の鈴慕か、ただしはその張伯という方の鈴慕か、ぜひともそれがお聞き申してみたかったのですが、私のたずね方が要領を得なかったせいでしょう、かえって私が叱られてしまいました。ところが今晩になってみますと、そんなことをしつこくたずね廻った私というものの愚かさが、つくづくと身に沁《し》みて参りました」
「どうです、傷は痛みますか」
とピグミーが言いました。
「別段、痛みはしませんが、これが人様の眼に触れて困ります。甲州の上野原の月見寺の時の怪我なんだろうと思いますが、ふだんはなんともございませんが、どうかすると、弁信さん、お前は大変な怪我をしているではないか、肩から左の脇腹まで、袈裟《けさ》がけに刀を浴びせられていますね、よくその傷が治《なお》りましたねえ、痛みはしませんか、とこう言われて、はじめて私が驚くのでございます。私自身にはなんとも、
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