ませんか」
「あれは、違います、全く他人です」
「ははあ、そうしますと、あなた方御同勢の五人と、その女の方の一行と、二組だけでございますか」
「それに俳諧師の方が一人おります、留守番と、猟師が二三名出たり入ったり……」
「そうですか。そうして、あなた方は失礼ながら、どちらからおいでになりましたか」
「飛騨《ひだ》の方から参りました」
「重ねて失礼ですが、御商売は何ですか」
「商売……」
 村田は、ちょっとばかり苦《にが》い顔をして、頭へ手をやり、
「商売と改まって聞かれると閉口するですがね、実は神楽師《かぐらし》なんですよ」
「神楽師?」
「ええ、池田というあれが頭分《かしらぶん》で、神楽をやりながら諸国を渡り歩き、この冬はここへ籠《こも》って、また飛騨の方面へ帰ろうと思います。一行のうちには、飛騨の高山生れの者もありますんでな」
「そうですか、それでおのおのは、音曲のたしなみがおありなさるのだな」
「神楽師《かぐらし》とは言いながら、変り種ばかり集まっていますから、神楽師にしては人間が大風《おおふう》だと思召《おぼしめ》すかも知れません、事実、神楽は道楽のようなもので、学問武術などにも相当に心がけのある奴がいるんですから、変に思召すかも知れませんが、慣れるとみんな無作法者ばかりです」
「それも頼もしいことです。実はただいま、神楽師とおっしゃるから、こいつ怪しいと思いましたよ。普通神楽師といえば、われわれの頭にまずうつってくるのは、二十五座とか、十二神楽とか、馬鹿囃子《ばかばやし》とかいったようなものですが、あなた方は、そんな種類の人とは思われないから、世を忍ぶ謀叛気《むほんぎ》の方々かと、一時は疑いの心を起しました」
「いや、決してそういう物騒なものではありません。一口に神楽といえば、馬鹿囃子みたようなものにとられ易《やす》いですけれど、文字そのものを吟味してごらんなさい、神を楽しむ、或いは神を楽しませ申すという立派な字面《じづら》です、従って、神楽師といえば、神前に奉仕する敬虔《けいけん》な職務ということにならねばならないのですが、どうもそう響かなくなっているのは習慣ですね。たとえば、道楽者といったようなもので、道楽という字面からいえば、道を楽しむのですから、孔孟や老荘の亜流でなければならないのに、普通、道楽者といってしまえば、箸にも、棒にも、かからないやくざ者
前へ 次へ
全79ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング