はこう言って、身体《からだ》を湯の中でまたゴシゴシとこすりました。
そうして神主が、また言葉をついで言いました、
「肥後の阿蘇という山は、全く、世界中でも類の無い山だと毛唐人が言いましたから確かでしょう、この辺の山と違って、火山の外輪というのが素敵でしてな。火を噴《ふ》く山としては、この上の焼ヶ岳なんぞも日本の国では、どこへ出しても引けは取らない山ですが、阿蘇とは規模において比較になりませんなあ。二十里というものが、人工で出来た壁のように、早い話が支那の万里の長城みたいに、ずうっと並んで連互《れんこう》しているんですから素敵なものです、この規模だけは世界に類が無いと西洋人が驚きます。まあ、折があったら一度のぼって御覧なさいまし」
阿蘇を讃美するかと思うと、今度は一転して温泉のことに逆戻りをして、
「修行は水に限るがの、気分の暢々《のうのう》するのは、何といっても温泉に限ったものですね。その温泉も、平地の温泉よりは、山の奥の温泉ほどいいですね。山の奥の温泉も、こんな湯槽の温泉よりも、野天の源泉、川の岸、巌の間といったのへ湧き出るそのところを湯壺にして、青天井の下で湯あみをするの愉快に越したことはありません。何しろ日本という国は、温泉がふんだんにありますからなあ、この点ではまことに仕合せな国に生れたものですよ。燕《つばくろ》の下の中房へ行きましたか。ああ、そうですか。この近所では、飛騨の平湯《ひらゆ》の温泉、蒲田峠《がまだとうげ》の蒲田の温泉というの、それから上高地の温泉も、これを山の裾越しに北へ行くと、あんまり遠くないところにあります。どうです、ひとつその上高地の温泉へ御案内をしましょうか。なあに、まだ雪もそんなに深くはなし、ここへ冬籠《ふゆごも》りをするよりは、また奥深くていっそう面白いですよ。帰りたけりゃ、いつでも帰れますよ。雪が深けりゃ深いように、歩き方もあるにゃあります、だが、山は慣れないうちは、もう全く案内者のいう通りにならないとあぶのうござんすよ、血気にまかせてはなりません。ひとつ乗鞍ヶ岳へ案内をして、朝日権現の御来光の有難いところを拝ませて進ぜましょうか。とにかく、ゆっくり御逗留《ごとうりゅう》でしたら、遊びにおいで下さい、梨木平《なしのきだいら》というのを通って無名沼《ななしぬま》へ出ると、その沼のほとりにわたしの小屋が見えます。誰がつけましたか、
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